時雨が続く仲秋

 

肌寒い一日になりました。写真はしっとりとした田宮西近隣公園です。繁茂した雑草もきれいに刈り取られ、地元の人たちの憩いの場所になってきました。このところ、これまでのような激しい雨は姿を消し、静かに降る、まさに「時雨」(しぐれ)状態です。これは、秋雨前線が列島の東に沿うように停滞しているためで、時雨模様が続いています。まだ暫くお天気はスッキリしないでしょう。

今日は、「奥の細道」などで、数多くの名句を詠んだ俳聖、松尾芭蕉の命日「時雨忌」です。松尾芭蕉は、元禄7年(1694)の今日、大阪で亡くなりました。「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」は、漂泊の一生を締めくくる辞世の句となりました。

 

 

| 18:58 | 投稿者 : ushiku |
塩害の影響が拡大している

 

台風24号の後遺症がまだまだ続きます。24号が通過した朝、あたり一面雨上がりでしたが、大雨の後とは思えない感じでした。そのと時は風はまだ強く、台風の強風域が過ぎ去っていない感じがしました。洗車したばかりの車は、風で飛散した枯葉やごみが付着してひどい状況で、フロントガラスが曇って見えづらく、濡らしたセーム皮でフロントグラスを拭きましたがすっきりしません。その後ベランダの手すりに布団を干そうと思いましたが、ザラザラでおかしい。ザラついた部分を指でこすって舐めてみますと、塩辛いことがわかりました。これは塩害だなと感じ、車は洗車しました。それから数日、街路樹や公園樹の落葉が目立つようになり、塩害の報道も目立つようになってきました。葉についた塩分は、葉から水分を抜き取るため、葉が枯れてしまうようです。24号が通過して暫くたちますが、街路樹(ケヤキ、サクラ、プラタナス等々)は茶色に変色し落葉が始まりました。日光では紅葉の便りもありますが、牛久では、サクラは全滅、ケヤキも全滅、常緑樹の白樫等も落葉が始まっています。桜のほのかな紅葉、イチョウの黄葉は今年は駄目かもしれませんね。

| 19:14 | 投稿者 : ushiku |
台風一過の美しい日の出

 

10月7日(日)午前5時50分の日の出直後です。この場所は田宮町番外という今時変な地名の場所で、標高25.20mという稲敷台地の縁に当たります。標高は稲敷台地の平均でしょうか。前方は第2つつじヶ丘(窪地)があり、エスカードビルや駅周辺のマンションが障害物無く見えるところです。台風25号が夜半に通過し、強風が汚れた大気を一掃したのでしょうか。この時期にこれだけのきれいな朝日はとても珍しいです。「朝焼けは雨」という諺がありますが、今朝は朝焼けではありません。晴天の日の出です。天気予報のない時代、人々はその土地固有の地形や海山土のバランス、天気や気候を観察して記録に残し、天気を予測しました。つまり、風土です。風土には様々な表情があるように、その風土の気候・気象を表し伝えることわざもあります。これを、天気俚諺(てんきりげん)や観天望気(かんてんぼうき)と言います。

 

 

| 18:37 | 投稿者 : ushiku |
牛久駅前がムクドリの塒

 

日没直後のエスカードビル東側の街路樹が椋鳥(ムクドリ)の塒に化しています。その数数千羽でしょうか、数本の街路樹はムクドリで重そうです。ムクドリの鳴き声の騒音と、更には、糞害と異臭で、近隣商店などでは迷惑に思っていることでしょう。ムクドリはかつて山の樹林帯や竹林をねぐらにしていましたが、次第に人に慣れてきたほか、山中よりも市街地の方が天敵に襲われることなく安全だと認識し、中心市街地を大群で飛び回るようになりました。牛久は宅地化が進んでいますが、郊外に行けば、オオタカやフクロウなどの猛禽類が増えてきているため、天敵の少ない安全な場所ということで都会の中心部に入ってきています。このムクドリは駅の東口周辺にいましたが、いつしか西口に移住したようです。ムクドリの被害は全国で広がっています。特効薬はなかなか無いようですが、撃退するには、日中に樹木全体をネットで覆ってしまうとか、テグスを張るのが効果があるようです。

| 18:58 | 投稿者 : ushiku |
マンモス小学校の下校時間

 

中根小学校の下校時間になりました。マンモス小学校の下校時間は凄い。小学校から県道272号線(ふれあい通り)まで約1km。集団下校の列が1km以上にわたって切れ目なく続いていました。要所要所には父兄が立哨。交差点には牛久警察署の警察官が、交通整理をしていました。ここまで徹底されていれば、登下校の事故は皆無でしょう。

 

 

| 16:46 | 投稿者 : ushiku |
秋霖の最中の地霧

 

連日、秋霖(秋雨)前線による、不安定なお天気が続いています。今日も日本列島の南岸に寄り添うように停滞する前線が、全国的にお天気を崩しました。この天気も、早朝は朝日も見え、田宮西近隣公園で地霧を視認しました。自霧とは、目の高さの水平指定距離が1勸焚爾如天空がかすかに見えるくらいのものを、(低い霧)、目の高さの水平視程距離はよくても地面に近いところに霧のある場合を(地霧)といいます。

| 19:01 | 投稿者 : ushiku |
荒廃した雑木林が蘇った

 

市街地に残る雑木林(平地林)。市内を見渡しても市街地に残る平地林は激減しています。現在の雑木林は、コナラ、クヌギなどの冷温帯植物で、古くは、薪炭林として機能していました。成長も早く、炭にしたときの火持ちもよく、最高のエネルギー源でした。成長してから、20年〜25年で伐採し、薪炭として利用しました。切り倒されたコナラ、クヌギは切り株から「萌芽更新」によって成長を始めるという人間と二人三脚の生き方をしていました。しかし、山を守る方々の高齢化によって、雑木林は荒れるに任せています。

この場所は、猪子町の「道山古墳群」です。一時は荒廃林として人も入れないような森でしたが、地元の有志によって整備され、本来の雑木林として蘇りました。

| 19:38 | 投稿者 : ushiku |
35000年前の旧石器人が住み始めた場所

 

もの凄い山間部のような光景ですが、何と、ここは住宅地(第2つつじが丘)北端に位置する「田宮西近隣公園」です。田宮町の雨水を調整する広大な調整池です。ここは稲敷台地の南端に位置し、台地から絞り出される地下水が刈谷川となって稲荷川に流入する小さな谷津の谷津頭でした。その後周辺の宅地が進み、雨水を調整する調整池に変わりました。この場所は、今から35000年前に、旧石器人が住み始め、縄文、古墳、弥生、奈良、平安時代まで壮大な年月の間、栄えた場所です。6000年前には、この場所まで太平洋の海水が入り込み、海の幸や周囲に控えるヤマから採れる山菜、木の実等が古代人の食料となっていまいました。

市内には多くの遺跡が発掘されましたが(何れも「整理遺跡」)、地形と古代遺跡を明確に関連づけられる場所は此処しかしかありません。(田宮西近隣公園東端からの眺め)

| 20:53 | 投稿者 : ushiku |
柏田川の上に出来た町

 

ここは中央通り(市道田宮中柏田線)とハナミズキ通りの交差点です。交差点の左手前側が眼鏡市場があります。この交差点は明治期には柏田川が流れていました。流れのルートは眼鏡市場かから洋服の青山を通って牛久シャトー(ロイヤルホームセンターとシャトーの間)裏に出て、近隣公園、市役所分庁舎と郵便局の間というルートで県道272号線(暗渠)で横切り中央図書館、東洋大牛久高校の南側を流れ、小野川に注いでいます。この川の管理区分は準用河川で牛久市が管理しています。牛久市は稲敷台地で、乏水地帯という環境のため農作物は作れませんでした。そこで、中小河川には必ずと言って良いほど、「溜池」が設けられていました。牛久シャトーの裏一帯は溜池で、神谷傳兵衞さんも葡萄栽培に溜池の水を利用したことでしょう。

| 18:59 | 投稿者 : ushiku |
稀勢の里に子どもたちの応援が届いているか

 

大相撲秋場所に8場所連続休場の稀勢の里が出場、盛り上がっていますが、8日目の取り組みで、小結玉鷲に敗れて早くも二敗となりました。何とか復活して欲しいと、牛久第2小学校では、各クラス毎に応援のメッセージを書き込んだ稀勢の里応援の昇り旗が今場所も登場。風に揺れています。子どもたちのためにも負け越して休場にならないよう頑張って欲しいですね。

| 20:09 | 投稿者 : ushiku |