調整池が出来て変わる風景

 

再び大荒れの天気になりました。今朝は青森湾にある低気圧から伸びる前線が日本列島を縦断しながら、雨を降らせました。

今日は二十四節気(清明)の七十二候(末候)「虹始見」(にじはじめてあらわる)です。太陽高度が高い日中、虹は低いところにしか見えませんが、雨の後や朝や夕方には、運が良ければ空いっぱいに広がる虹に出会えるかもしれません。その出現に出会えるだけで、何となく希望が湧いてくる自然現象です。季節は初夏に向かってまっしぐらです。

写真は、市街地の真ん中にこんな長閑な風景が見られるようになりました。つつじが丘と刈谷の間を流れる刈谷川(準用河川)の調整池です。刈谷川は幅が2m程で三面コンクリートですが、大雨の後は増水し、周辺の谷津田は完全に水没するほどでしたが、調整池の二期工事が昨年終わり、大雨による増水は全くなくなりました。手前の花は「ヤマボウシ」です。

| 17:09 | 投稿者 : ushiku |
花水木通りのハナミズキが満開

 

牛久のメインストリート「花水木通り」に植栽されている「ハナミズキ」がほぼ満開になりました。ハナミズキは「ヤマボウシの」の仲間で、「アメリカヤマボウシ」とも呼ばれています。牛久はまだ若木ですから迫力に欠けますが、将来が楽しみです。日本における最初の植栽は、1912年に当時の東京市長であった尾崎行雄が、アメリカワシントンD.C.へ桜(ソメイヨシノ)を贈った際、1915年にその返礼として贈られたのが始まりとされています。この話は、1981年改訂版の日本の中学生向け教科書『NEW PRINCE』中3版でもエピソード的に取り上げられました。贈られたハナミズキは全部で60本で、うち白花の苗木が40本、ピンク花の苗木が20本で、日比谷公園、小石川植物園などに植えられました。 

| 16:41 | 投稿者 : ushiku |
一般国道6号牛久土浦バイパス工事が進む

 

一般国道6号牛久土浦バイパスの事業化が決定し、牛久市内の工事も進んでいます。一般国道6号は、東京都中央区から柏市、土浦市、水戸市などを通過し、仙台市に至る延長約375km の主要幹線道路です。牛久土浦バイパスは、一般国道6号(現道)の渋滞解消や圏央道へのアクセス道路としても機能する延長5.2kmのバイパス事業です。現在は国道6号根古屋地区の地盤強化工事が進み、城中へと進んでいます。この事業は、国道6号の牛久駅〜荒川沖駅周辺の市街地で慢性的におきている渋滞を解消し、道路交通機能を回復させることを目的に計画され、平成6年4月に、牛久市遠山地先〜土浦市中地先の区間、延長15.3kmが都市計画決定されました。また国道6号の渋滞解消だけでなく、圏央道のアクセス道路の機能を併せ持つ道路です。写真は城中町の牛久城址大手門付近です。埋蔵文化財の調査も一部は終了し、更に調査が開始される予定です。

| 19:01 | 投稿者 : ushiku |
辛夷の並木道

 

辛夷が満開になりました。ここは牛久郵便局と牛久市役所分庁舎・保健センターの間の短い区間です。辛夷が街路樹に植えられるのは中々珍しいですね。市内では、県道牛久停車場線(ケヤキ通り)の欅。新地の稲荷川外堤の桜並木。市道花水木通りの花水木が有名ですが、辛夷はここだけです。シャトー通りの終点から外れてほんの短い区間、何故辛夷?

| 17:20 | 投稿者 : ushiku |
ここにもあった歴史遺産(5)

 

筑波南桂工業団地内(ゼリア新薬事業所前)にある、「獅子見塚古墳」です。工業団地の整備から免れ、綺麗に保存されていますが、古墳の標識が無く、古墳の墳頂部が崩壊しています。今すぐ整備が望まれます。この古墳は市内では数少ない「前方後円墳」です。過去の調査では、墳長32.7m、後円部径27.3m、同高2.2m、前方部高0.8m。円筒埴輪、形象埴輪、雲母片岩破片 が発掘されています。

| 16:15 | 投稿者 : ushiku |
番外編「野田市の醤油産業の歴史を訪ねて」

 

今日は景観まちづくりネットワーク恒例の先進地まちづくり研修でした。行き先は千葉県野田市です。キッコーマン醤油創業の地で、企業城下町の野田の町をくまなく歩きました。案内は野田市民会館を拠点に活動されていいる「むらさきの里 野田ガイドの会」の皆様でした。午前10時から12時迄、ゆっくり歩いて約7km。野田の町は何処から何処までもキッコーマン一色で、多くの建物が「近代産業遺産」に指定された文化財級の建物と創業者一族の豪邸には当時の生活の仕組みが各所に取り入れられ、感動しきりでした。お二人のガイドさんに分かりやすい解説を頂き、あっという間の2時間でした。写真は(「野田の醤油発祥の地」の石碑前のガイド風景)

牛久市景観まちづくりネットワークでも、来年度には牛久市の歴史まち歩きガイドを立ち上げたいと検討を進めています。

| 18:17 | 投稿者 : ushiku |
ここにもあった歴史遺産(4)

 

下根町の牛久警察署北側にある「愛宕脇古墳」です。円墳で、墳頂には愛宕神社が祀られています。当初はもう少し大きかったようですが、西側が削られてしまったようで、小さくなっています。大きさは、東西19.5m、南北19m、同高2.2m  周溝があったようですが、現在は見られません。この古墳も古墳という標識は何処にも見られず、近隣の人も小さな小山の神社としての認識しかないのではないかと思います。(県道272号線、牛久警察署の北側にあります。県道から見えます)

| 18:47 | 投稿者 : ushiku |
ここにもあった歴史遺産(3)

 

ここは牛久駅東口から僅か260mのところにある牛久市南地区の浅間神社です。小さな起伏のある山を富士山に見たて、富士山の浅間神社となりました。ここの起伏は古墳時代の古墳で、正式名は「富士山古墳」(円墳)です。市内には多くの古墳があり、その大半が神社として信仰の対象になっています。神社があれば、粗末に出来ないと言うことで、歴史遺産を後世に残すことが出来ますが、本来の古墳としての標示が殆どないことは寂しい限りです。

| 18:59 | 投稿者 : ushiku |
(祝)登録有形文化財・女化分教場

 

平成30年3月9日(金)、文化庁の報道発表によると「文化審議会は 平成30年3月9日(金)開催の同審議会文化財分科会の審議・議決を経て、新たに196件の建造物を登録するよう、文部科学大臣に答申を行いました。」登録の内訳は、昭和部門(66件)の中の建造物学校部門(12件)に「旧岡田小学校女化分校」が候補(答申)に載りました。牛久市で登録有形文化財に登録されるのは初めてで、大変お目出度いことです。この学校は明治31年、明治期の大開拓・女化開拓の開拓農民によって設立された「私立女化尋常小学校」として発足、その後幾多の変遷を繰り返しました。明治40年(岡田村立女化尋常小学校)、明治42年(岡田村立女化第四尋常小学校)、昭和12年(岡田村立女化分教場)、昭和27年(牛久町・岡田村合併)、昭和47年(牛久町立岡田小学校の統廃合で一校に)、同年女化分教場は閉鎖ととなりました。この歴史ある分教場が登録有形文化財になります。これを契機に牛久の歴史を多くの市民に認識して頂く契機になればと思います。

 

 

| 19:16 | 投稿者 : ushiku |
調整池の初仕事

 

前線を伴った低気圧の通過に伴い、昨夜半から今年二回目の春の嵐になりました。一時は暴風雨が吹き荒れ心配しましたが、昼までには嵐は収まりました。この地区の5時間の降水量は100mmを越したようです。写真は刈谷とつつじが丘の間にある準用河川刈谷川の調整池、竣工後初めてのお役立ちです。水鳥が歩けるほどの水しかありませんでしたが、周辺市街地の雨水溝から集まった雨水が調整池に入り、一晩でほぼ満水になりました。調整池が出来る前は、大雨で、この周辺にあった谷津田(水田)は冠水し、農道も通行不能になる状態でした。

| 17:45 | 投稿者 : ushiku |