牛久歴史巡り(城中・女化)

 

今日は某行政区のふれあいサロンから要請を受けて、牛久歴史散歩巡りを行いました。バスで移動しながら、水戸道中(水戸街道)の歴史と見どころ(山口弘達(牛久藩12代藩主の書のある忠魂碑)、正源寺、本陣、明治天皇牛久行在所跡)。バスは得月院に到着。得月院では、閻魔大王と奪衣婆の話に盛り上がり、妙印尼(戦国時代最強の婆と言われる由良国繁の母・五輪塔、小川芋銭の墓。ここから徒歩で、雲魚亭、平本くらら邸、抱樸舎、河童の碑、陣屋跡。得月院に戻りバスで移動。途中昼食をし、午後から女化地区の歴史巡りとなりました。女化開拓の概要説明後、明治天皇駐蹕之地と徳富蘇峰の書。再び徒歩で、女化神社奥の院、岡田小学校女化分校(現女化青年研修所)という歴史散歩でした。バス移動でしたが、天気にも恵まれ、最高の歴史巡りとなりました。写真は女化分校の前で。

| 16:46 | 投稿者 : ushiku |
特定外来生物・オオキンケイギク

 

生息域を拡大する外来生物法の特定外来生物「オオキンケイギク」。以前はひたち野牛久周辺(人人ニュータウン)の販売が始まった頃は、辺り一面お花畑になっていましたが、宅地から住宅街になってから、オオキンケイギクは少なくなっています。最近では旧市街地の道路法面や道路の花壇などにも入り込んでいます。この花は綺麗だからと、庭に植えたり、家庭菜園などでも見受けられます。オオキンケイギクは、5月から7月頃にかけて鮮やかな黄色の花を咲かせる北米原産の多年草です。高さは30cmから70cm程度で、道路の法面緑化や園芸用としても生産・流通していました。群生しているときれいですが、あまりの強健さのために一度定着すると在来の草花を駆逐し、辺りの景観を一変させてしまう性質を持っていることから、問題になる外来生物として環境省が平成18年2月に「特定外来生物」に指定しました。「特定外来生物」は、栽培・運搬・販売・野外に放つことなどが禁止されています。

| 16:17 | 投稿者 : ushiku |
街中に繁茂する特定外来生物

 

ひたち野牛久周辺で、あの季節がやってきました。外来生物法で指定された特定外来生物「オオキンケイギク」が咲き出したのです。北アメリカ原産のキク科の多年草で、毎年5月〜7月に黄色のコスモスに似た花を咲かせます。強靭で繁殖力の強いオオキンケイギクは、かつて道路法面の緑化などに使用されていました。しかし、平成18年2月に在来の植物を衰退させるとして「特定外来生物」に指定されました。「特定外来生物」とは、海外から我が国に導入されることによりその本来の生息地又は生育地の外に存することとなる生物(外来生物)で、外来生物法(特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律【平成16年法律第78号】)により定められた生物です。この「特定外来生物」に指定された生物を飼養、栽培、野外に放つことや撒くことなどは禁止されています。ひたち野牛久に異常に多いのは、かつて、URによって「人人ニュータウン」が整備され、広大な宅地が広がりました。その宅地に、緑化のためオオキンケイギクが利用されました。しかし、旺盛な繁殖力で、宅地として販売される前には一面の黄色いお花畑になっていました。その後、特定外来生物に指定され、利用が禁止されましたが、排除されないまま現在に至っています。現在は宅地では見かけませんが、道路周辺でお花畑は拡大の一途を辿っています。

| 17:30 | 投稿者 : ushiku |
改善一歩の碑

 

小川芋銭画伯の「改善一歩の碑」が人知れず街中にありました。ここは牛久三中近くの交差点です。

改善一歩の碑とは、大正11年(1922年)に、城中青年会(矯風会)の手によって、旧牛久村の主要な道筋に立てられた道標です。当時、城中の青年達が、道標を立てる計画をしていたところ、それを知った小川芋銭画伯が、永久に耐えられる石柱にしなさいとこれを寄付してくれたものだそうです。青年会では早速好意を受け、芋銭画伯の名を石柱に刻もうとしたが、芋銭画伯は、名前の代わりに「改善一歩」と刻みなさいと言われたため、城中青年会はこの改善一歩を、自分の歩む道を善い方へ改めて進みなさい、と言う意味で、現在7本が地区内に残っています。

| 21:03 | 投稿者 : ushiku |
明日の鯉まつりはメイストームが心配

 

5月2日は「八十八夜」です。立春から数えて88日目を八十八夜と言います。農作物の種蒔きの時期で、「八十八」という字を組み合わせると「米」と言う字になることから、農業にとって縁起の良い日とされています。この時期に新茶の茶摘みが盛んになり、特に八十八夜の日に摘んだお茶を飲むと、一年間元気に過ごせると言われています。こんな素晴らしい時期ですが、今日は夜半から お天気は大きく崩れ出しそうです。写真は、市役所脇の近隣公園で明日3日に行われる「うしく鯉まつり」の会場です。準備は万端、大きな鯉のぼりが風にそよいでいました。風が止むと鯉のぼりはダラ〜ン。その時、鯉の尻尾に二人の幼児が駆け寄り、向かいあって真剣な眼差し。何を話しているのでしょうか? 一寸離れてお母さんが心配そうでした。

| 19:20 | 投稿者 : ushiku |
番外編:土浦沖宿から筑波山遠望

 

今日は土浦の沖宿にある霞ヶ浦環境科学センターまで外出しました。用事が終わり、沖宿の霞ヶ浦湖岸から筑波山遠望。天気は良く、殆ど雲はありませんでしたが、春霞のように霞んでいました。その元凶はPM2.5。手前の蓮田は若葉が覗いていて、梅雨入りの頃ハスの大きな花が見られそうです。この付近のハスの生産量は全国一と言われています。

霞ヶ浦の周回道路は整備されていて、霞ヶ浦一周140km。車のすれ違い可。ロードバイクを楽しむ人が非常に多いのが印象に残りました。牛久沼一周は22km、現在は舗装されていない部分が一部有り、ロードバイクの周回は厳しい部分があります。何れ整備されることを祈ります。

| 19:27 | 投稿者 : ushiku |
第27回 うしく・鯉まつり

 

明日からゴールデンウイークです。そして5月3日に市役所脇の近隣公園で「第27回 うしく・鯉まつり」が開催されます。

鯉まつりとは、「子どもたちが鯉のぼりの下で大いに遊び、楽しい思い出をつくり、人と人とのふれあいを通して思いやりの大切さを感じるような場をつくり、青少年健全育成の啓発の場とすることを目的とする」と言うことで、今年で27回を迎えます。鯉のぼりの掲揚は昨日行われました。

| 16:07 | 投稿者 : ushiku |
タケノコのある風景

 

牛久市の郊外を走ると、そこかしこでタケノコの風景に出会えます。現在目立っているのは「孟宗竹」で、旬の食べ物として珍重されています。タケノコは地中にあるうちに節が全て(孟宗竹で約60)形成され、根に近い節から順に伸長していきます。節の数については、「同じ地下茎なら皆同じ」との調査結果があります。 また、固いタケノコの皮(稈鞘)は柔らかい本体(稈)を保護するだけでなく、節の成長を助ける役割を持っています。このため若竹の皮を取ると、その節の成長は止まってしまう。地上に顔を出してから間もなく成長が止まり、そのまま枯れて腐ってしまう、「止まりタケノコ」と呼ばれる現象があり、止まりタケノコの数は全体の半数から7割に達するといいます。すなわち、タケノコは過度に採取しなければ、竹林の成長に影響しないそうです。

| 16:26 | 投稿者 : ushiku |
旧岡田小学校女化分校が間もなく登録有形文化財に

 

女化開拓の文化遺産とも言うべき、現「女化青年研修所」が文化庁の国指定登録有形文化財(建造物)の指定に向けて動き出しました。3月9日の文化庁の文化審議会が文科相に答申、今後は手続きを経て6月頃に登録される見込みです。

女化開拓は、当時の内務卿大久保利通の命を受けた元紀州藩士、陸軍少将「津田出」(つだいずる)が明治11年、官有地の開拓を始めました。不毛の大地と呼ばれ、全く作物も育たないこの地を、津田は肥沃な農地に替えたいと、女化の地に津田農場の内最大の第七農場を作り、人手は、徳島からの入植者に頼りました。しかし、開拓は難しく、政府主導の開拓は挫折し、第七農場の農地は入植者に一部払い下げられました。しかし、広大な土地です。広大な土地は入植者の手に負えるものでは無く、その大部分は、神谷傳兵衞と竹内綱(吉田茂の父)が取得しました。こうして女化開拓は新たなスタートを切ったのです。入植者は苦労を重ねた末、取得した農地の開拓も順調に進み、子どもたちのためにと私立の学校を作りました。この時、明治31年「私立女化尋常小学校」がスタートしたのです。そして、明治40年10月公立となり「岡田村立女化尋常小学校」に名称変更。明治42年には岡田村立女化第四尋常小学校に名称変更。昭和12年牛久村・岡田村の合併で「岡田小学校女化分教場」に名称変更。昭和47年学校の統廃合で「女化分教場」は廃校になりました。現在の研修所は昭和12年建設されたもので、80年の歴史があります。

| 17:15 | 投稿者 : ushiku |
調整池が出来て変わる風景

 

再び大荒れの天気になりました。今朝は青森湾にある低気圧から伸びる前線が日本列島を縦断しながら、雨を降らせました。

今日は二十四節気(清明)の七十二候(末候)「虹始見」(にじはじめてあらわる)です。太陽高度が高い日中、虹は低いところにしか見えませんが、雨の後や朝や夕方には、運が良ければ空いっぱいに広がる虹に出会えるかもしれません。その出現に出会えるだけで、何となく希望が湧いてくる自然現象です。季節は初夏に向かってまっしぐらです。

写真は、市街地の真ん中にこんな長閑な風景が見られるようになりました。つつじが丘と刈谷の間を流れる刈谷川(準用河川)の調整池です。刈谷川は幅が2m程で三面コンクリートですが、大雨の後は増水し、周辺の谷津田は完全に水没するほどでしたが、調整池の二期工事が昨年終わり、大雨による増水は全くなくなりました。手前の花は「ヤマボウシ」です。

| 17:09 | 投稿者 : ushiku |