ここにもあった歴史遺産(6)

 

ここは井ノ岡町の県道206号線脇にある稲荷塚古墳群4号墳です。これまでは殆ど管理されていないため、ススキなどの雑草に囲まれた小高い畑の一部でした。しかし、墳丘の上にある山桜が市民の木(No.45)に指定されると、この古墳は山桜のために整備されるようになりました。市民の木としてのデータは、高さ16.3m、樹幹周り57.6m、樹齢250年という立派な山桜です。市民の木として45番目に指定された新参ですが、古墳の墳頂に生える山桜が古墳の破壊を防いだと言えるでしょう。古墳のデータは、[方墳]、一辺約15m、高さ約2mという古墳です。この付近には幾つもの古墳が現存しますが、史跡や文化財として歴史遺産に指定して管理の手を待っています。

| 19:31 | 投稿者 : ushiku |
放射霧の朝

 

ここ数日日本列島を移動性高気圧が覆い、5月頃の陽気をもたらしました。今朝は放射冷却で霧が発生し、幻想的な風景が風景が広がっていました。放射冷却とは、太陽が沈むと、昼間温められた地球の表面のほうが、空気中より温かい状態になります。すると、地球の表面から熱が放出されてしまうのです。もし上空に雲があると、雲にぶつかって地表に戻る熱もあるので、それ程地表の温度が下がらずに済みます。また、風が強いと、温度が下がった空気とまだ下がっていない空気とか混ぜられます。これによって、空気中の温度が十分低くならないので、地表の熱はあまり逃げ出しません。したがって、風があまりなく遮る雲がない、よく晴れた朝は地表から熱が放射されてしまうため、地面付近の空気が冷えて空気中の水蒸気が水滴となり、空中に浮かんで霧となる。これが放射霧で、地表面付近の現象であり、日の出後1〜3時間くらいで消えて晴れます。放射霧は好天の合図です。

| 19:30 | 投稿者 : ushiku |
春霞の里地

 

再び雨の一日になりました。昨日、東シナ海にあった低気圧が、鹿児島県の西の海上に進み、日本列島のお天気を崩しています。

この時期に降る雨を「木の芽起こし」(このめおこし)と言います。日本人は季節によって雨の名を使い分けてきました。木の芽が萌え出る雨のことで、「木の芽はるさめ」という地方もあります。二十四節気の啓蟄も過ぎ、小さな虫たちも次々に顔を出していますが、冷たい雨では、再び冬眠したくなるのではないでしょうか。午後5時過ぎの里地には、うっすらと春霞がかかっていました。この季節は暖かい日射しも、風も雨もみんな春モードです。

| 19:33 | 投稿者 : ushiku |
田起こしも終わり春を待つ谷津田

 

昨日は春のような陽気でしたが、今日はほぼ一日曇り、北風の吹く寒い一日になりました。今日は二十四節気の「啓蟄」です。啓は(ひらく)、蟄(ちつ)は土中で冬ごもりしている虫の意味で、大地が暖まり冬眠していた虫が、春の訪れを感じ、穴から出てくる頃とされています。大きな木に巻きつけた「菰(こも)外し」を啓蟄の恒例行事にしている地方もあります。まだまだ寒い時節ですが、一雨ごとに気温が上がり、日差しも徐々に暖かくなってきます。今朝、ウグイスの初鳴きとモンシロチョウを見かけました。自然界はまさに暦通りに動いているようですね。谷津田は、最初の田起こしが終わり、これから先の更なる田起こしと代掻きを待つばかりです。

| 19:20 | 投稿者 : ushiku |
スギ花粉の飛散がピークに

 

このところ、連日初夏の陽気が続いていますが、スギの雄花が弾けて花粉の飛散もピークに達しています。左の写真は昨日撮影した城中町の一角です。中央のスギの木が赤く見えるかと思います。その一部を接写したのが右の写真です。雄花は丸々と太ってまさに弾ける寸前です。元々スギは育てやすく、成長が早く、建築資材としてのニーズが高かったため、戦後、木材需要の高まりにこたえるため、国が積極的な造林が進めてきたことが背景にあります。だが、国内の木材価格の低迷により林業従事者は採算上厳しい立場に置かれました。木材は高値で売れず、伐採やその後の植林にもコストがかかるため、放置された挙句に花粉を増大させているスギは少なくありません。

 

 

| 15:57 | 投稿者 : ushiku |
なごり雪の一日

 

今年は二度目の雪になりました。日本列島の太平洋上にある低気圧によって、関東地方は雪の舞う寒い一日になりました。19日に二十四節気の「雨水」でした。雨水とは、「雪は春の雨に変わり、雪解けが始まる季節」とされています。今日の雪は春になってから降る雪で「なごり雪」と言い、春の季語になっています。また、「忘れ雪」「雪の果て」など、美しい別称もあります。

(写真は午前6:30)

| 20:07 | 投稿者 : ushiku |
田起こしが始まった

 

田起こしが始まりました。春になると田んぼを掘り起こして、眠っていた土を目覚めさせます。これを「耕起」、「田起こし」、「田打ち」等と言います。土壌を細かく砕くことによる排水性、通気性、保肥力、保温性の向上、有機物分解の促進、雑草の種子の不発芽化など、たくさんの効果があります。土がほぐれるとミミズやバッタが顔を出し、それを目当てにスズメやツバメがやってきて、田んぼがにぎやかになります。稲作の始まりです。そろそろコブシが咲き出す時期で、コブシの別名を「田打ち桜」と呼ばれています。

| 19:10 | 投稿者 : ushiku |
厳しい寒さの中忍び寄る春

 

午前7時7分、日の出から30分後(今朝の日の出6:28)の里山の風景です。地面は霜で真っ白。手前の里山を越えて顔を出した太陽が前方の里山を照らし出した瞬間です。今日2月14日は二十四節気「立春」の七十二候(末候)「魚上氷」(うおこおりにあがる)です。春の暖かさで湖や川の氷が割れ、氷下で泳いでいた魚が氷の上に跳ね上がる頃」とされています。温かくなった水の中に、ゆらゆら泳ぐ魚の姿がよく見え始める頃です。土筆も芽を出し、猫柳もかわいい雄花をつけました。暦の上でもすっかり春、もう後戻りできません。忍び寄る春をしっかりと受け止めたいですね。

| 20:13 | 投稿者 : ushiku |
忘れられた明治期の牛久の開拓

 

この風景は何処にもある田園風景です。この場所は岡見町の岡見城址のすぐ西側の台地です。写真の奥側が台地の外れで、谷津になっており、小野川です。この場所は、殆ど注目されず、ありふれた田園風景となっていますが、牛久の歴史の証人でした。牛久には三大開拓として、明治期の女化開拓、そして戦後の、奥野開拓、成美開拓が牛久の黎明期の大きな開拓でした。しかし、ここに忘れられていた明治期の開拓がありました。その名は「岡見が原」の開拓です。この時期は明治11年津田出による女化が原の開拓が始まっていました。その官有地の開拓地から外れた、岡見が原に目を向けたのが、旧牛久藩士「愛知直簡」など3名でした。これらは、牛久県知事人見寧宛に「荒蕪地開墾の儀願」を提出したことからはじまります。その願書によれば、この広大な原野は「天賜ノ妖地」であるが、これ「空しく放棄セシムルノ形況」は、穀物の価格がきあめて安く「殖産培養ノ動費ヲ償フコトアタワザル」によるものとして、これを開墾「牧畜ノ事業ヲナシ」たいというものでした。願書提出の二年後、明治15年11月、その時点での貸付原野はすべて官有地。面積は、岡見・小坂・福田の原野82町歩5反余りでした。女化開拓ほどではありませんが、この広大な土地のルーツは埋もれていました。

| 19:38 | 投稿者 : ushiku |
霜だたみの朝

 

昨日、青森県の津軽半島の東海上にあった低気圧によって西高東低の冬型の気圧配置になり、北海道や日本海側の地方で大雪になりました。特に福井県は記録的な大雪になっています。その原因の低気圧は太平洋上に去りましたので寒さも少しずつ和らいでいくでしょう。今朝は氷点下2度と然程の寒さではありませんでしたが、霜で真っ白でした。この一面に降りた霜のことを[霜だたみ]と言います。霜とは、空気中の水蒸気が0℃に冷えた地物に凍りついて氷の結晶になったものです。その状況から色々な表現の仕方があります。

| 16:40 | 投稿者 : ushiku |