国道6号牛久土浦バイパス城中工区の現況・その後

 

この写真は、国道6号線牛久土浦バイパス城中町工区の展望台に掲示されている写真です。この展望台は、左下現場出入口(赤字記載)のやや左上にあります。そして、この写真の「土工事」と表示された場所が、昨年秋に発掘調査の行われた「山王前遺跡:巨大な縄文遺跡)のあった場所です。さらには現場左下の「現場出入口」の記載場所が「小馬様台遺跡:古墳跡」。右上の緑の多い部分が「牛久城址」という古代遺跡から近世までの遺跡に囲まれた地域です。この地区の工事は、中央下に赤い点線が見えるかと思いますが、その点線の上の部分から、「土工事」と記載されたところまでの工事が進められています。この地域は、まだまだ多くの埋蔵文化財が隠されています。公共工事でこれ以上の遺跡破壊が進んで欲しくないとおもいます。

| 19:17 | 投稿者 : ushiku |
アヤメ園今年のトピックス

 

冬至直前の牛久市観光アヤメ園です。今年の作業は間もなく終わります。厳冬期に入りますと、圃場が凍結することと、雑草の生育が止まることから、1月の作業は休止となります。今年は猛暑で、アヤメ園最大の任務「株分け」には苦労しました。今年は1/3の圃場を株分けしましたので、この圃場の来年の花期はやや小ぶりの花になります。アヤメ園今年のトピックスとしては「古代バス」です。今年春に移植しましたが、生育がすこぶる良好で、大池で初めて大きな花をつけました。ピンクの美しい花が手元で見られるということから多くの方々の目を楽しませてくれました。そしてもう一つのトピックスとしては、台風15号と19号の台風で、来園者に日陰を提供していた柳の木が中央から折れてしまいました。右の柳は上部が折れて不格好になっています。左の柳は、やはり上部で折れて、中途半端な姿になってしまいました。この柳は3本ありましたが、右奥にあった柳は5年ほど前にやはり台風で根元から折れて、抜去しています。

| 17:32 | 投稿者 : ushiku |
牛久沼の無人島

 

大きな湖に浮かぶ小島のように見えますが、ここは牛久沼の無人島です。この島は国道6号線藤代バイパス沿い(道の駅建設予定地対岸)の湖上に位置します。かつてこの島の対岸付近にあった「京成バラ園」と言う観光施設から貸しボートで渡る事が出来たといいます。この島の来歴は不明ですが、明治14年に陸軍省測地部が制作した「迅速測図・牛久村」には島がありません。したがって明治以降、何かの目的のため造成された人工島なのでしょう。1947(昭和22)年の国土地理院の航空写真では既に島は存在しました。現在よりも大きい感じがしました。この島は何かの目的で造成されたことは間違いありません。この小島は深い闇と謎に包まれたままです。

| 17:20 | 投稿者 : ushiku |
根古屋不動尊

 

牛久城址本丸下に小さな神社があります。根古屋不動尊。この神社の詳しい来歴はわかりませんが、明治時代前期には、この場所は牛久城址の本丸で、ここから20mほど台地の上にありました。

明治17年、女化が原で行われた陸軍砲兵大隊の大砲射的訓練に明治天皇が視察されることが決まると、その二年前に天皇の行幸に備え周辺8カ村の代表者(連合戸長:村長会会長)に就任した小川賢勝(おがわよしかつ・小川芋銭の父)の指揮のもと、小通幸谷村(現龍ケ崎市小通幸谷町)から牛久村までの新道を整備しました。この道が現在の牛久沼に面した国道6号です。ここには元々道らしき道はなく泥濘の獣道のような道が続いていました。そこに新道を作るという大変な計画が持ち上がったのです。建機もなく、大八車のような車を使って土砂を運搬しました。その埋め立てに使った土砂が、牛久城本丸跡の丘陵でした。現在の本丸跡は抉られるように削られています。根古屋不動尊は、抉られた本丸下にあります。明治天皇牛久行幸は、女化原(現牛久市女化町・さくら台付近)で行われた近衛砲兵大隊による大規模な大砲射的訓練を視察するもの。女化原は明治11年から政府主導で女化開拓が行われましたが荒蕪の地とされた荒れ地の開拓は難しく、更に入植者も少なく、開拓は困難を極め、開拓は挫折します。その荒れ地に目を付けたのが陸軍でした。

| 17:40 | 投稿者 : ushiku |
長時間居座った放射霧

 

今朝の霧は長い時間居座りました。朝6時ごろから10時過ぎまで、霧が漂いました。この霧は放射霧といい、夜の時間に温度が下がったことで地面の空気が冷やされて、空気中の水蒸気が霧として出てくる状態のことをいいます。風が弱く、よく晴れた日の早朝に発生しやすいといわれています。盆地や谷沿いで発生しやすく、それぞれ「盆地霧」「谷霧」といった呼び方をされることもあります。明け方に発生し、9時ごろまでにはふわっと消えてしまう放射霧。まさに、自然が生み出す神秘的で儚い光景です。(写真はアヤメ園の河童像と放射霧)

 

 

| 20:46 | 投稿者 : ushiku |
国道6号牛久土浦バイパス工事の標識が増えた

 

国道6号牛久土浦バイパスの城中町工区です。昨日の続きになります。左の写真が昨日撮影した「現場見学場所」です。そして右の看板は、6号国道の根古屋川の取りつけ部分です。この看板の先、左方向にバイパスは城中方向に進みます。今まで、バイパスをアピールする標識はありませんでしたが、国土交通省も地元に対して気を使っているような気がします。

| 16:12 | 投稿者 : ushiku |
国道6号牛久土浦バイパス城中工区の現況

 

まるでダム工事? ここは国道6号牛久土浦バイパス、城中工区です。正面の台地は、昨年埋蔵文化財の発掘調査が行われた「山王前遺跡跡」です。縄文遺跡にしてはとてもユニークな遺跡でしたが、バイパスの犠牲になりました。この遺跡は「整理遺跡」としてこれ以上日の目を見ることはありませんが、報告書だけが残されています。現在の国道6号は正面台地の奥になります。この台地の奥には橋脚が完成しており、写真の工区がどのようになるのかはわかりませんが、バイパスは写真奥から手前に向かって進んできます。

| 19:10 | 投稿者 : ushiku |
牛久沼・日没の水鏡

 

今週は、月曜日が雨、火曜日と水曜日が快晴、今日も爽やかな小春日和の一日でしたが、ゆっくりと下り坂です。明日は曇りがちの一日で、土曜日は一時初雪の可能性ありと予報が出ていましたが、初雪はなくなり、代わって冷たい雨になりそうです。今日は青空の間に秋の雲のようなうろこ雲が青空に映えていました。この雲は天気下り坂のサインです。そして、北日本に寒波をもたらした西高東低の冬型気圧配置はやや緩み大雪は峠を越しました。明日の牛久は最高気温10度に達せず、寒い一日になりそうです。天気俚諺(天気の諺)で、「夕焼けは晴れ」というのがありますが、写真は夕焼けというよりも、下り坂をはっきりと表現している情景です。

| 17:27 | 投稿者 : ushiku |
寒冷前線の尻尾

 

今日は二十四節気「小雪」の七十二候(末候)「橘始黄」(たちばなはじめてきばむ)です。葉は青々と茂り、橘の実が黄色く色づく頃です。橘は、古くから日本に自生し、「永遠の命」を象徴する常緑樹でした。日も短くなっていく季節に、ひときわまばゆく輝く、太陽の色の果実です。虹は隠れ、北風が吹き、橘の実が色づき、そして次の節気に移ります。あと五日で二十四節気「大雪」です。

今日は日本海側を前線を伴った低気圧が通過したため、低気圧から伸びる寒冷前線によって関東地方では昼過ぎまでまとまった雨になり、雷鳴も鳴り響きました。写真は3時15分、牛久沼水辺公園から、北北東の空を見ていますが、関東地方に大雨を降らせた雨雲の尻尾をとらえました。この時間以降、雨は小降りになりました。写真右側の地上まで繋がっている雲は大雨を降らせている「尾流雲」です。

| 16:30 | 投稿者 : ushiku |
古代人が住む環境が整っていた牛久沼周辺

 

牛久沼南岸(竜ケ崎市水辺公園)から牛久沼を挟んで、筑波山と牛久市城中町の斜面林です。前方の台地は、通称、稲敷台地と呼ばれ、茨城の県南の主な台地です。この台地に見えるのは城中斜面林。牛久沼は6000年前の縄文時代には、地球は最も暑い時代でした。極の氷床も解けて、太平洋の海面は5mほども高くなったといわれています。牛久沼は「鬼怒の海」(きぬのうみ)と呼ばれ、牛久沼も霞ケ浦も太平洋の内海でした。当然、牛久沼には海水が入り込み、南の地方から流れついた木の実が漂着し、発芽した牛久には無いはずの樹木が、この斜面林には見られます。和歌山県の南紀には当たり前の「タブノキ」や「スダジイ」等々が見られる貴重な斜面林です。そして、牛久沼に流入する稲荷川の上流の支流となる刈谷川の谷津には、旧石器時代の古代遺跡が幾つも見つかっています。牛久沼とその上流の河川には、古代人が住む貴重な環境が備わっていたようです。

| 18:55 | 投稿者 : ushiku |