忘れ去られていく民間信仰

 

今日は、島田町の公会堂で、歴史講座「幻の古道・鎌倉街道」を依頼され行ってきました。鎌倉街道とは、今から800年ほど前に源頼朝が金砂城に立てこもっていた、平氏の残党、佐竹氏を征伐するために進軍した古道で、牛久にも残されています。頼朝は鎌倉から海岸線を通る、「下ツ道」という鎌倉街道を通り、我孫子から利根町(当時下総の国)、竜ケ崎から牛久の島田台に入り、牛久村を通過しました。また、その後、鎌倉権五郎影正が八幡太郎義家の命を受けて奥州征伐「後三年の役」で勝利をおさめ鎌倉への帰途、現島田町の島田台に差し掛かった時、敵の兵に右目を撃ち抜かれたという逸話が残されています。その古道の歴史の話をさせていただきました。帰り際、鎌倉街道から50mほどのところに残されている「大日如来石仏及大日塚」を見てきました。その標識には「当大日如来石仏は寛永6年(1629)出羽三山湯殿山の、修験者が「時念仏」という民間信仰を布教のために建立したもので、御湯殿山御神体の胎蔵界大日像を刻み、殆ど大日塚の上に祀り、全国でも茨城県南地方にのみ見れれる。大日如来は仏教界最高の仏像で、また、真言宗の本尊でもある。此に「高福寺別当宝泉寺栄伝「本願」などの銘刻があり、庶民信仰の対象として五穀豊穣等祈願した。近世に念仏衆が大きな塔婆を囲み数珠を操り、百万遍念仏を唱え現生二世安楽を祈った」 平成3年3月1日 牛久市教育委員会 とありました。

| 20:14 | 投稿者 : ushiku |