根古屋不動尊

 

牛久城址本丸下に小さな神社があります。根古屋不動尊。この神社の詳しい来歴はわかりませんが、明治時代前期には、この場所は牛久城址の本丸で、ここから20mほど台地の上にありました。

明治17年、女化が原で行われた陸軍砲兵大隊の大砲射的訓練に明治天皇が視察されることが決まると、その二年前に天皇の行幸に備え周辺8カ村の代表者(連合戸長:村長会会長)に就任した小川賢勝(おがわよしかつ・小川芋銭の父)の指揮のもと、小通幸谷村(現龍ケ崎市小通幸谷町)から牛久村までの新道を整備しました。この道が現在の牛久沼に面した国道6号です。ここには元々道らしき道はなく泥濘の獣道のような道が続いていました。そこに新道を作るという大変な計画が持ち上がったのです。建機もなく、大八車のような車を使って土砂を運搬しました。その埋め立てに使った土砂が、牛久城本丸跡の丘陵でした。現在の本丸跡は抉られるように削られています。根古屋不動尊は、抉られた本丸下にあります。明治天皇牛久行幸は、女化原(現牛久市女化町・さくら台付近)で行われた近衛砲兵大隊による大規模な大砲射的訓練を視察するもの。女化原は明治11年から政府主導で女化開拓が行われましたが荒蕪の地とされた荒れ地の開拓は難しく、更に入植者も少なく、開拓は困難を極め、開拓は挫折します。その荒れ地に目を付けたのが陸軍でした。

| 17:40 | 投稿者 : ushiku |