古代人が住む環境が整っていた牛久沼周辺

 

牛久沼南岸(竜ケ崎市水辺公園)から牛久沼を挟んで、筑波山と牛久市城中町の斜面林です。前方の台地は、通称、稲敷台地と呼ばれ、茨城の県南の主な台地です。この台地に見えるのは城中斜面林。牛久沼は6000年前の縄文時代には、地球は最も暑い時代でした。極の氷床も解けて、太平洋の海面は5mほども高くなったといわれています。牛久沼は「鬼怒の海」(きぬのうみ)と呼ばれ、牛久沼も霞ケ浦も太平洋の内海でした。当然、牛久沼には海水が入り込み、南の地方から流れついた木の実が漂着し、発芽した牛久には無いはずの樹木が、この斜面林には見られます。和歌山県の南紀には当たり前の「タブノキ」や「スダジイ」等々が見られる貴重な斜面林です。そして、牛久沼に流入する稲荷川の上流の支流となる刈谷川の谷津には、旧石器時代の古代遺跡が幾つも見つかっています。牛久沼とその上流の河川には、古代人が住む貴重な環境が備わっていたようです。

| 18:55 | 投稿者 : ushiku |