参勤交代の往来も盛んだった牛久宿

 

国道6号線、竜ケ崎方向を見ています。この三差路から右に入る旧水戸道中(水戸街道・牛久宿)になります。右折して直ぐに、地元では通称「桜ぼっく」と呼ばれている桜の古木のある塚があります。日露戦役等の慰霊碑があります。その慰霊碑の揮毫は、牛久藩第十二代藩主「山口弘達」でした。三歳で牛久藩十二代藩主になった方で、版籍奉還の後、学習院大学教授、貴族院議員、子爵という華やかな肩書を持ちます。その桜ぼっくを右に見て進むと、約200m付近で、牛久宿上惣門(宿場の入り口の門)のあった付近に立ちます。現在では跡形もありませんが、ここから下惣門(観成院)付近まで、牛久宿は1.4kmもある宿場でした。牛久宿は本陣(現上町区民館)も置かれている格式の高い宿場でした。水戸道中牛久宿は、江戸時代の五街道に準ずる「脇往還」という位置づけでした。ですから起点は日本橋ではなく、日本橋から五街道の一つ、日光道中をスタートし、千住宿で「水戸佐倉道」に入り「新宿(にいじゅく)」(現金町付近)から水戸道中に入ります。その新宿(にいじゅく)から7番目の宿場が牛久宿になります。

| 19:04 | 投稿者 : ushiku |