今や肥沃の大地に変貌した岡見が原開拓地

 

ここは牛久市福田町です。鎌倉街道の北側にあたり、牛久大仏も見えます。今でこそ広大な北の大地のような景観を見せていますが、牛久には三大開拓として、明治期の女化開拓、そして戦後の、奥野開拓、成美開拓が牛久の黎明期の大きな開拓が三カ所ありました。しかし、ここに忘れられていた明治期の開拓がありました。その名は「岡見が原開拓」です。この時期は明治11年内務卿大久保利通の命を受けて、牛久の大地に乗り込んできた「津田出」(元紀州藩士)による女化が原の開拓が始まっていました。その官有地の開拓地から外れた、岡見が原に目を向けたのが、旧牛久藩士「愛知直簡」など3名でした。これらは、牛久県知事人見寧宛に「荒蕪地開墾の儀願」を提出したことからはじまります。その願書によれば、この広大な原野は「天賜ノ妖地」であるが、これ「空しく放棄セシムルノ形況」は、穀物の価格がきあめて安く「殖産培養ノ動費ヲ償フコトアタワザル」によるものとして、これを開墾「牧畜ノ事業ヲナシ」たいというものでした。願書提出の二年後、明治15年11月、その時点での貸付原野はすべて官有地。面積は、岡見・小坂・福田の原野82町歩5反余りでした。女化開拓ほどではありませんが、この広大な土地は前述の牛久藩士によって、開拓が始まろうとしていましたが、他の牛久藩士の同意を得られず、以後挫折の道をたどります。

| 19:58 | 投稿者 : ushiku |