江戸時代の大動脈・陸路

 

水戸道中(通称水戸街道)本陣付近です。水戸道中とは、徳川幕府が主要街道の名称を決めたのが今から303年前の正徳6年4月15日でした。主要街道は五街道、東海道、中山道、日光道中、奥州道中、甲州道中と名称を決定しました。水戸道中は、五街道に準ずる「脇往還」とされました。参勤交代の往来も多く、牛久宿の中央付近に本陣(佐野屋)も設けられました。本陣跡は、現在の上町区民館です。正源寺に近く、名主であった問屋治左右衛門宅(問屋(といや)宿場役人)もあり、牛久宿の中心地として機能していました。しかし、この町並みは、昭和40年代まで、現在の福島県の大内宿と同じような茅葺き屋根の古民家が軒を連ねていました。しかし、牛久は東京のベッドタウンとして変貌を遂げると、歴史的な古民家はすべてなくなりました。

| 18:35 | 投稿者 : ushiku |