牛久は埋蔵文化財の宝庫

 

ここは城中の一角。「城中貝塚」です。白く見えるのは、海の貝殻。その貝殻に混じって、縄文土器片がいくつも見えています。写真左側の崖下は、特養の元気館右奥から北に延びる谷津田です。今から6000年前、それまでの地球は氷河期でしたが、縄文時代には地球が一番の温暖期に入りました。北米大陸やヨーロッパ大陸には数千メートルの氷床がありましたが、これが溶け出し、海水面は4〜5mも上昇しました。ここまで海面が上昇すると、霞ヶ浦も牛久沼も海の中でした。牛久の南端(稲敷台地の)では幾つもの谷津が台地奥深く入り込みました。谷津の一番奥は「谷津頭」と呼び、そこまで海水が入り込んでいたため、海の幸は豊富でした。その渚の上は古代住居。古代人は木の実ばかりではなく、海の幸の味を知りました。そして、生活のゴミ捨て場「貝塚」がいくつもできたのです。牛久では、城中地区、田宮地区、南(みどり野)地区、女化地区、小野川流域地区には多くの谷津があり、谷津頭の奥には古代住居が数多く設けられました。特に田宮平遺跡(整理遺跡)は35,000年前の旧石器時代〜平安時代までの遺跡が見つかっています。縄文時代以降地球は寒冷期に向かっていますが、人間が壊した地球は「寒冷化」ではなく「温暖化」に向かっているのでしょうか。

| 18:05 | 投稿者 : ushiku |