市内最大の自然と歴史の景勝地・かっぱの小径

 

牛久沼かっぱの小径は散策路として定着してきました。毎日散歩する方、団体でウォーキングする方々、牛久沼畔の自然観察をする方々、更には城中の歴史散策する方々など、多くの方々に利用されています。このロケーションが市内随一といっても良いでしょう。牛久沼畔の絶景は四季を通じて新たな発見があります。6000年前の縄文時代、地球は氷期以来最も暖かい時期がありました。大陸の氷床(ヨーロッパ大陸、北アメリカ大陸)が溶けて海面が5mも上昇、この現象を「縄文海進」と言います。牛久沼は太平洋の入海となり、黒潮に乗って南国の木の実が城中の斜面にも漂着しました。現在この斜面林には関東地方では無いはずの樹木が幾つか見られます、タブノキ、スダジイなど、それらは西日本からの漂着でした。そして、温暖期は去り、地球は冷えてくると、「海退」と言われ、海水は引いていき、牛久沼は海跡湖として残りました。そして、戦国期の天正18年(1590)、小田原後北条方であった牛久城主「岡見氏」は豊臣方の水戸佐竹氏の配下、下妻の多賀谷氏との攻防で、泊崎城が敵の陣地となり、牛久城、東林寺城との睨み合いが続きましたが、天正18年の前後には岡見氏のすべての城(15ほど)は落城しました。その後牛久城主には太田金山城(群馬)の城主だった由良国重が牛久城に移封。由良家は二代続きましたが、二代目は病弱で死去、由良家は改易になりました。そして、牛久城は廃城になりましたが、寛永5年(1648)山口重政が家康から牛久城を拝領、以来240年間山口家は牛久城主として、政治を司りました。かっぱの小径周辺はこんな歴史と自然景観が見られ、市内最大の景勝地となっています。

| 18:00 | 投稿者 : ushiku |