源頼朝が進軍した鎌倉街道

 

ここは県道68号線(国道408号正直町信号から阿見町方面)と通称鎌倉街道の交差点、牛久二中入り口付近です。交差点から東に数十メートル、右折した道です。右が山一味噌、左奥が奥野生涯学習センターです。この細い道は市道2154号線です。この道にとても価値があります。改めて岡見町から、小坂団地の北側を通り、牛久二中信号までを、通称鎌倉街道と言っています。しかし、牛久二中交差点から東に進む道は鎌倉街道ではありません。市道7号線と言い、明治期には無かった道です。昭和53年に市道に指定されました。さて、写真の道ですが、市道2154号線とは、幻の古道鎌倉街道なんです。この道を直進しますと長沼りんご園、さらに進みと国道408号にぶつかります。この道が旧鎌倉街道です。鎌倉街道は鎌倉時代からあった道で、鎌倉幕府を開いた源頼朝の時代にはありました。源頼朝は鎌倉に幕府を開くと、軍事目的のみならず年貢やその他物資輸送のため鎌倉へ通じる道路を整備しました。鎌倉街道には主道が3つあり、上ッ道、中ッ路、下ッ道と呼ばれている三本の道。いずれも鎌倉から武蔵国に向かい関東豪族の居館へ通じていました。牛久の鎌倉街道は、下総国府(現在の千葉県市川市)から常陸国府(石岡市)に通じる道路の一部であったと考えられており、「下ッ道」にあたります。源頼朝はこの道を金砂城の佐竹氏を討伐するために通ったとされます。

| 19:57 | 投稿者 : ushiku |