牛久で一番の歴史の宝庫・城中

 

今日は某地区社協からの要請で、城中の歴史散策を行いました。参加者50名、アヤメ園駐車場からスタート、途中、縄文海進の説明と斜面林の希少植物の解説。更にかっぱの小道を木道まで進み、マルバヤナギの「柳絮」について説明しました。牛久ではここでしか見られない自然現象で5月の初旬に綿毛が雪が降ったよう浮遊する珍しい現象です。参加された皆さん、目を丸くして聞いて頂きました。そして南窓寺跡で寺子屋の話をしました。茨城県の県南、特に牛久には多くの寺子屋があり、現勧成院の寺子屋「提灯座」が最大規模でした。その後太政官布告で提灯座は牛久小学校になり、南窓寺の寺子屋は城中小学校となりました。その後両校は合併、現牛久小学校の前身となりました。南窓寺の次は抱撲舎、双恕庵(俳人平本くらら宅)、雲魚亭を詳細に解説のあと移動。河童の碑の前の広場で陣屋の説明で、150年前の陣屋門が牛久に現存すると言う話には皆さん大いにびっくり。その後得月院まで移動。ここはボリュームがあります。天正18年(1590)の秀吉の天下統一で小田原城が陥落。同時期に牛久城も落ちました。支城15も相前後して落城。秀吉の天下統一で、功績のあった太田金山城の由良国繁の母「妙印尼」に秀吉から牛久城を拝領しました。息子の由良国繁兄弟は小田原北条氏に小田原城に幽閉(理由は長くなりますので)されていました。このため77歳の高齢でしたが城内の家来に気合いを入れて秀吉に与し天下統一に貢献しました。秀吉は息子たちは気に入らんが母に免じて牛久城を与えたのでした。その妙印尼を戦国時代最強の女丈夫と言われています。得月院には妙印尼の五輪塔があり、牛久市の文化財となっています。その妙印尼は輝子と言い、現在最も注目されている方で、NHKの大河ドラマの候補とも言われています。得月院には小川芋銭の墓もあり、牛久の歴史が盛りだくさん詰まっています。写真は得月院の閻魔大王と奪衣婆の説明に皆さん大笑いでした。2時間の歴史散策大成功でした。

| 16:57 | 投稿者 : ushiku |