神谷家墓地跡に供えられた葡萄の城

 

神谷の共同墓地に行ってきました。共同墓地中央に一際目立つ墓地跡があります。参道の両側に御影石の大きな灯籠が並び、鳥居の先「神谷家墓地跡」という石柱が立っています。ここは元々「神谷伝兵衛」の墓所でした。この場所は元々神谷葡萄園の一部でした。

伝兵衛は大正11年、66歳で亡くなりましたが、生前にここに葬ってほしいと言うことから希望通りに埋葬されました。しかし、昭和53年に東京谷中の天王寺墓地に移されました。その後、牛久の墓所には規模こそ小さくなりましたが、その一部が残され写真の「神谷家墓地跡」という石柱と右側には伝兵衛を讃える大きな板碑があります。板碑の揮毫は、何と、牛久藩第12代藩主「山口弘達」(やまぐちひろよし)でした。山口弘達は明治になってから牛久藩知事、牛久県知事を歴任、学習院大学教授、子爵まで上り詰めた方です。今や人知れず寂しい墓地跡になっていますが、明治の歴史を動かした偉人の遺産を牛久の宝として日の目を当てたいですね。

今日はその「神谷家墓地跡」の石柱の前に、合同酒精が販売している「葡萄の城」赤・白が供えられていました。

| 18:19 | 投稿者 : ushiku |