戦国時代最強の女傑・妙印尼輝子

 

城中町の得月院です。ここは小川芋銭の墓所として知られていますが、それ以上に深い歴史がありました。天正18年(1590)、今から429年前、豊臣秀吉は天下統一すべく、小田原北条氏を攻略しました。その時、由良国繁・太田金山城主(現群馬県)でしたが、小田原北条氏が常陸国の佐竹氏を攻撃するため、金山城と館林城の借用を申し出ました。ここで、兄弟(弟の長尾 顕長(あきなが))はこれを承知しましたが、これに反発した家臣は国繁らの母・妙印尼を擁立して籠城したため、兄弟は小田原城に幽閉されてしまいました。城主の居ない由良家は、国重の母妙印尼輝子は(77歳)と高齢でしたが一念発起、前田利家の配下として小田原攻略に大きく貢献しました。秀吉の天下統一後、妙印尼の武功が認められ、国繁兄弟は母の功績のお陰で、金山城に代えて牛久領の5400石を秀吉から拝領することになりました。その後、国繁、慶長16年61歳で逝去。牛久領は息子の貞繁に引き継がれましたが、貞繁も病没。貞繁に子がいなかったため由良氏の牛久藩は僅か二代でお家は断絶となりました。この母、妙印尼輝子は戦国時代最強の女傑と言われて、NHKの大河ドラマの最有力候補と言われています。得月院は文禄3年(1594)牛久に移り住んだ妙印尼が開基した寺と言われています。妙印尼輝子の墓は牛久市の文化財になっている「五輪塔」です。

| 17:38 | 投稿者 : ushiku |