交通の要衝は今も変わらず

 

ここは国道6号小野川橋から撮影しました。下を流れる川は一級河川小野川です。左右の橋はJR常磐線、右上の高架道路は国道468号線(首都圏中央自動車連絡道・圏央道)です。この道路は高規格自動車専用道路という位置づけで、高速道路ではありません。さて、この四つの交通の要衝についてご説明しますと、

まず水戸道中(現6号・通称水戸街道)は徳川2代将軍秀忠の代になってからのことで、慶長9年(1604)に日本橋を五街道の起点として定めたのが始まりです。水戸道中は五街道に準ずる「脇往還」として整備されました。五街道と脇往還は幕府安泰のために江戸を防衛することを目的として、街道の要所に関所を置いて通行人を取り締まりました。参勤交代の大名の妻は人質として江戸住まい。国にも帰れませんでした。そして鉄砲が江戸に入るのを関所で防いだのです。それが「出女と入り鉄砲」です。そして、小野川ですが、今を去ること205年前、文化10年(1814・徳川11代将軍徳川家斉)に小野川水運という江戸までの物資輸送手段がスタートしました。この年に小野川流域の農家28戸が、幕府郡役所に小野川通伝馬造茶船(でんまつくりちゃぶね)の鑑札を申請し受理されました。この時代は江戸の人口が増え続け、エネルギーの枯渇が大きな問題となっていました。そこで、江戸を取り巻く周辺の村々に幕府は官有林にアカマツを植栽し、薪と炭にして江戸直納を義務づけました。その輸送経路となったのが小野川でした。このルートを「小野川水運」と呼ばれています。そして、常磐線は明治22年に水戸〜小山間が水戸鉄道会社によって開通していました。そして土浦〜田端間が明治28年に開通。田端〜上野間は明治29年に開通して、水戸〜上野間が完全につながりました。この当時の名称は「日本鉄道海岸線」でした。当時の常磐線は常磐炭坑から産出される石炭を京浜地区に運搬する動脈として整備されたものです。それから121年後、平成29年(2017)首都圏中央自動車連絡道(圏央道)が開通しました。いつの世も交通の要衝は変わらないですね。

| 17:21 | 投稿者 : ushiku |