牛久の第四の開拓地、岡見が原開拓地

 

ここは岡見町の田園風景です。今でも広大な田園が残されています。牛久市には明治期の女化開拓、戦後の奥野開拓、成美開拓という三つの開拓が知られていましたが、明治初期に、「岡見が原開拓」という新しい史実が見つかりました。この土地は従来荒蕪地で、手つかずの荒れ地が広がっていました。荒蕪地とは土地が痩せ、穀物、蔬菜栽培にそぐわない、更に穀物の価格が安く、収支が償わないという時代でした。しかし、物価は騰貴し、生活は困難を極めていました。このとき、旧藩の失業した藩士たちは革命以来侍としての職を解かれ、家禄を奉還して資本金を拝受し、農商業に従事してましたが、そもそも薄録の上に慣れない事業なので以来十余年を経た今日でも生活の目処が立ちにくい。対策として現今の物価高に乗じて開墾し農牧畜業を営み生計を立てたい。この件については旧藩士の間で相談し旧藩主(牛久藩12代藩主山口弘達)も賛成している。ついては、1反歩につき25銭の地代で10年間拝借(国に)し、成功のうえ地価を上納し地券の交付を受けたい。と新政府に懇願しました。その発起人の一人に、日本画家小川芋銭の父、小川賢勝がいました。岡見が原開拓はその後紆余曲折がありましたが、広大な農地は農民に払い下げられました。

岡見が原開拓地は、現在の岡見町、福田町、小坂町の三町になります。

| 21:26 | 投稿者 : ushiku |