兵どもが夢の後・岡見城址

 

松尾芭蕉が奥の細道で平泉を訪れたとき、藤原三代の栄華を思いだし、呟いたとされる「夏草や兵どもが夢の跡」を思い出しました。

牛久岡見氏の最盛期の天正15年(1587年)〜18年(1590年)頃に岡見治広が後北条氏(小田原北条)に提出したとされる岡見氏本知行等覚書によると、牛久城が本城で、15の支城があり、岡見城はその中の一つでした。天正18年に後北条氏が秀吉の東国攻めで落城すると、牛久城の岡見氏は降伏し、牛久城以外の城は廃城となりました。そして、牛久城には太田金山城主の由良国繁が牛久城主として転封となりました。写真は鬱蒼とした茂みの中に、「常州岡見城城址」と「岡見家之霊菩提供養塔」という立派な石碑が人知れず建っていました。牛久周辺に城址はたくさんありますが、岡見氏をはっきり明示した石碑、供養塔はここだけです。牛久岡見氏とその一族、更には豊臣方との戦で無くなった兵士も含めての慰霊塔だと思います。もっと多くの方に見て頂きたいですね。

| 17:01 | 投稿者 : ushiku |