牛久の歴史ボランティアガイド養成講座第四回

 

12月22日(土)「二十四節気」(冬至)の日、牛久の歴史ボランティア養成講座第四回(牛久の天正18年)の現地踏査を行いました。アヤメ園の駐車場に集合、オリエンテーションの後、三日月橋を渡り、最初のガイドは道祖神から始まりました。道祖神と道標が並んでいる辻で立ち止まり解説。ちょうど道祖神の足下に二股大根が供えられていました。道祖神の神様は旅人の足を守り、悪霊を村に入ってこないようにと辻々にもうけられた神様です。この神様は片足でしたが、弁財天に一目惚れして、猛烈にアタックしましたが、弁財天には逃げられてしまいました。そこで、何時しか会えることを祈り、辻々に片足で立ちすくしていたそうです。その姿を不憫だと、村人は歩けるようになってほしいと、二股大根を供えたということです。そして、山を登り、東林寺城址の「一の郭」にでました。ここは昭和48年に発足した「稲荷川土地改良区」によって、浮田の広がる三日月橋周辺の土地改良が行われました。浮田を埋め立て美田に変えるため多くの土砂が必要になりました。そこで、埋め立てに使うため、東林寺城址の「一の郭」(江戸以降は本丸と呼ぶ)の大半が削られて埋め立てに使われてしまったのです。現在は僅かに残る土塁と空堀が当時の面影を残します。その後、二の郭、三の郭、四の郭、庚申塔と城址の遺跡を訪ねました。そして、東林寺に戻り五輪塔と江戸時代牛久城主九代藩主山口弘封(ひろくに)の墓を訪ねました。山口氏の墓の隣にある五輪塔(二基)は削り取られた一の郭にあった格式の高い墓でしたが、どなたの墓か未だに解明されていません。もしかすると、天正16年頃の城主「栗林義長」(女化の狐の孫)と言い伝えのある実在の武者かもしれません。その後に、白川稲荷(岡見氏が京都伏見稲荷から勧請した神社)とされています。ここの急階段を上り神社を訪ね、今日の現地踏査は終わりました。(写真は山口弘封の墓の前で)

 

 

| 19:38 | 投稿者 : ushiku |