小さな小径の歴史・巡見道から臨幸道へ

 

細い山道のようなこの道は、市道9号線です。この道の正面は県道48号線の旧道です。車一台がやっと通れる細い道。町名は柏田町です。この道には古い歴史がありました。江戸時代には「巡見使」が使った「巡見道」として整備された道でした。巡見道とは、江戸時代に全国の幕府領や私領の支配の実情をみるために、幕府から派遣された視察官が全国を巡見した道でした。五代将軍徳川綱吉以降は将軍の代替りの際に派遣されることが多く、全国を幾つかのブロックに分け、各ブロック三名ずつの派遣が原則でした。八代将軍徳川吉宗の代替り発遣以後は幕府領・私領別々に編成され、幕府領は御料所国々巡見使、私領は諸国巡見使とよばれました。その巡見使が歩いた道でした。その後時代は変わり、明治に入り、巡見道としての役割は終えましたが、明治17年(1884)11月27日〜12月10日の間、女化が原において陸軍砲兵大隊の大砲射的訓練が行われました。この期間中の12月6日〜9日に明治天皇の天覧がありました。7日利根川を渡った明治天皇を人見寧茨城県令(知事)が奉迎し先導、午前11時55分牛久村到着。飯島左衛門宅を行在所としました。そして翌日8日、明治天皇の馬車は主に旧巡見道を馬車で女化に向かいました。水戸街道をお立ちになった天皇のご一行は、現金乃台カントリークラブの間を通り、この市道9号線に入り、現在の県道48号線を南下して女化神社に到着したそうです。明治天皇がお通りになった道を「臨幸道」と呼ばれました。

 

| 17:52 | 投稿者 : ushiku |