江戸時代から栄えた橋

 

小野川に架かる豊年橋から東の方向を撮影しました。写真左が小坂団地方向。右が上太田町です。方角的には左が北、右が南になります。小野川の橋は、県道48号線の架かる橋から東に順に、結束町に架かる小さな橋(名称不詳)で、人間一人しか渡れない小さな橋、次が写真の「豊年橋」です。江戸幕府の八代将軍吉宗の時代に江戸の燃料供給基地(御林)が牛久に設けられ、小野川水運が始まりました。この時代には、豊年橋は架けられていなかったと思いますが、この川の流域には「小野川通伝馬造茶船」という田舟を使った舟運の鑑札をもらった農家が河岸をつくり、年貢米、薪炭の江戸直納の舟運の基地として活気があったようです。そして、時代は経過して、明治の初期、農閑期に「お伊勢詣」の際、岡見や小坂の住民がこの橋を渡って、竜ヶ崎に入り、利根川を渡って千葉から東京に向かいました。すべて徒歩による長旅でしたが、途中宿泊しながら東京を目指し、新橋から横浜まで、開通したばかりの汽車に乗って、横浜から東海道の旅が始まりました。その日記が最近、岡見の旧家から見つかりました。詳細の日記で、全行程でかかった経費や宿泊地が詳細に記されています。そして、この橋は小野川左岸の村々の人たちが買い物(竜ヶ崎貝原塚方面)に、旅に足繁く使われた大事な橋でした。

 

| 20:12 | 投稿者 : ushiku |