江戸時代の名残を見つけた

 

何の変哲も無いひたち野牛久の踏切ですが、江戸時代の名残を見つけました。「第二御林踏切」の御林とは、江戸時代8代将軍吉宗の時代に遡ります。戦国時代が終わり、世の中は平和になり、治安が良くなると、江戸に出れば仕事に有り付けるとばかり、出稼ぎが増え、江戸の人口は100万人を超えました。一都市で100万人と言いますと世界でも類を見ない大都市になっていました。ここで、幕府の悩みの種はエネルギー問題でした。幕府は、江戸を取り巻く周辺の村々に、「御林」(おはやし)を作るよう指示を出しました。御林とは、幕府の御林奉行が管理する(現在の国有林)林で、薪にするためのアカマツの植林を命じたのです。現在の牛久市域の大部分は明治初期までアカマツ林でした。そして、アカマツが育ち、加工した薪を江戸へ送るため水運が開設されました。牛久市域の小野川から現在の稲敷市伊佐津まで「伝馬造茶船」(でんまつくりちゃぶね)と言う小舟で運び、伊佐津(集積所)から高瀬舟に乗せ換えて霞ヶ浦・利根川・関宿から江戸川・行徳から新川・小名木川を経て、隅田川沿岸の河岸まで運んでいました。江戸まで200km、9日間の船旅でした。この水運を「小野川水運」と呼び、利根川に入ると「利根川舟運」と呼びました。

| 16:14 | 投稿者 : ushiku |