旧岡田小学校女化分校が間もなく登録有形文化財に

 

女化開拓の文化遺産とも言うべき、現「女化青年研修所」が文化庁の国指定登録有形文化財(建造物)の指定に向けて動き出しました。3月9日の文化庁の文化審議会が文科相に答申、今後は手続きを経て6月頃に登録される見込みです。

女化開拓は、当時の内務卿大久保利通の命を受けた元紀州藩士、陸軍少将「津田出」(つだいずる)が明治11年、官有地の開拓を始めました。不毛の大地と呼ばれ、全く作物も育たないこの地を、津田は肥沃な農地に替えたいと、女化の地に津田農場の内最大の第七農場を作り、人手は、徳島からの入植者に頼りました。しかし、開拓は難しく、政府主導の開拓は挫折し、第七農場の農地は入植者に一部払い下げられました。しかし、広大な土地です。広大な土地は入植者の手に負えるものでは無く、その大部分は、神谷傳兵衞と竹内綱(吉田茂の父)が取得しました。こうして女化開拓は新たなスタートを切ったのです。入植者は苦労を重ねた末、取得した農地の開拓も順調に進み、子どもたちのためにと私立の学校を作りました。この時、明治31年「私立女化尋常小学校」がスタートしたのです。そして、明治40年10月公立となり「岡田村立女化尋常小学校」に名称変更。明治42年には岡田村立女化第四尋常小学校に名称変更。昭和12年牛久村・岡田村の合併で「岡田小学校女化分教場」に名称変更。昭和47年学校の統廃合で「女化分教場」は廃校になりました。現在の研修所は昭和12年建設されたもので、80年の歴史があります。

| 17:15 | 投稿者 : ushiku |