忘れられていく歴史の証人

 

ここは旧水戸道中(水戸街道)・成井一里塚跡です。史跡でありながら、雑草に隠れようとしています。現在の地番は牛久市遠山町。牛久宿の江戸寄り、龍ヶ崎市の若柴宿と牛久宿の中間にあります。現在の牛久市には、成井一里塚の他、田宮一里塚(現在の国道6号田宮町交差点付近)、中根一里塚(国道6号ひたち野牛久と荒川沖の境界の三カ所があります。江戸時代にはこの一里塚の前を参勤交代の隊列がしばし行き交った事でしょう。水戸道中には水戸徳川家は定府制のため、参勤交代は行われませんでした。このため参勤交代は無く、東北地方の殿様が中心でした。水戸藩主徳川頼房は徳川姓を名乗れましたが、尾張、紀伊各徳川家よりも禄高は半分ほど。但し、御三家のうち江戸定府を認められたのは水戸家だけでした。家康は御三家のバランスを考えたのではないかと言われています。このため、水戸家が水戸へ下ったのは半世紀で11回と少なかったようです。

| 19:21 | 投稿者 : ushiku |