町に中に今も残る民俗遺産

 

住宅街の中に今も残る「庚申塚」。ここは第二つつじヶ丘に今も残されている貴重な民俗遺産です。庚申とは、庚申(かのえさる)の日、仏家では青面金剛(しょうめんこんごう)、または帝釈天(たいしゃくてん)。神道では猿田彦神を祭り、徹夜する行事です。この夜眠ると、そのすきに人間の体内にいる三尸(さんし)の虫が、体内から抜け出て、天帝にその人の悪事を告げるといい、また、その虫が人の命を短くするともいわれています。庚申の夜、村人や縁者が集まり、経などを読誦し、共食・歓談しながら夜を明かしたそうです。寝ずに朝を迎えれば、三尸の虫は体をい抜け出せず、天帝に告げ口されず安泰というわけです。これは、娯楽の少なかった江戸時代以来しだいに社交的なものになったと言われています。

庚申塚には庚申塔が立っていますが、一年に6回やってくる「庚申待」を真面目に3年続け、18回庚申待をやり遂げた記念に庚申塔を立てたと言われています。

 

 

| 18:43 | 投稿者 : ushiku |
URの拠点事務所から牛久市の施設に

 

牛久市の表玄関と化した「ひたち野うしく駅」その東口の前にある綺麗なビル。バスターミナルの正面にある6階建てのビル「ひたち野リフレ」。 このビルはもともと、ひたち野うしくエリア(人人ニュータウン)を開発してきた「UR都市機構」が拠点事務所として使っていたビルです。ビル自体は1998(平成10)年に竣工しましたが、外装にはデザイン性の高い樹脂鋼板、紬パネル、アルミパネルを多用。10年以上を経た今も時代の最先端を感じさせるデザインです。リフレプラザとして多くの市民が利用しています。子育て広場、会議室、催事場、フリースペース等々。

| 17:59 | 投稿者 : ushiku |
万博中央駅跡記念碑

 

ひたち野うしく駅の西口に「万博中央駅跡記念碑」があります。ここは1985年のつくば万博(国際科学技術博覧会、科学万博、つくば '85)が行われた際の「万博中央駅」でした。期間中の臨時駅として賑わいました。その跡地に記念碑が建っています。

碑文には、

 飛翔 牛久町長 大野正雄書
かつてここに、万博中央駅があった。国際科学技術博覧会"科学万博-つくば85"が、筑波研究学園都市で開催されたのは、1985年であった。我が国の科学技術のメッカ筑波研究学園都市、および我が筑波の名を内外に高からしめるため、竹内藤男県知事、横田栄一県議会議長らが中心となって運動した全県民の熱意が、実を結んで実現したもので、「人間・居住・環境と科学技術」のテーマのもと、科学の先端技術を駆使して出展されたパビリオンは、国内、国外から80を数えた。3月17日から9月16日までの六か月の開催期間中に、会場を埋めた観客は2千万人を超える盛況で、このうち380余万人が牛久町大字中根、宇鳴牛、原田、兎谷津地内に、臨時に設置された常磐線万博中央駅を利用した。万博中央駅の設置面積は9.8ヘクタールに及び、さらに幅員34メートルの学園西大通り線を通して会場まで、日本で初めて連節バス・スーパーシャトルが運行し、観客輸送の主役を担った。
 万博中央駅はまさに、科学万博-つくば'85の表玄関としての役割を果たし、牛久町の面目を遺憾なく発揮した。世紀の祭典成功の一翼を担った"万博中央駅"の栄光を称えるため、ここに碑を建立して、永く記念とするものである。
昭和61年5月8日  万博中央駅跡記念碑建立委員会

| 17:07 | 投稿者 : ushiku |
「薄氷」(うすらい)と呼ばれる春先の氷

 

昨日は東京や横浜で春の淡雪になったようです。この時期は、気まぐれの天気が繰り返しやってきます。まさに三寒四温です。この時期の陽気は日一日と暖かさを増し、もう氷を見ることがない、という陽気が続いた後に、突然冬が戻り、薄っすらと氷が張ることがあります。「薄氷」(うすらい)と呼ばれる春先の氷。名前の通り、薄く弱々しく、儚く砕け散る運命にある氷です。繊細で神秘的な模様を見せる氷で、清少納言が「泡に結べる紐」と例えた自然美の一つです。こんな冬の情景ももうすぐ見られなくなります。後四日で二十四節気「雨水」です。春本番が間も無くやってきます。

| 13:36 | 投稿者 : ushiku |
成美開拓地の現在

 

久市役所4階から栄町方向です。今でこそ市の中枢機関が立ち並び、更に住宅地が立ち並ぶこの地域は、昭和24年に創設された成美開拓地でした。成美開拓組合長粟屋萬衛氏は農林大臣周東英雄より、農林省開拓機械化農場の委託を受けた場所でした。しかし、戦後間もない時期で、政府の財政も厳しかったはずです。その後農林省開拓機械化農場創設は「ドッチライン」により「時期尚早」との勧告を受け、第25回臨時帝国議会で5000万円の予算を否決され、農林省開拓機械化農場創設は悪夢と消えました。成美開拓は全体の運営を共同経営をとり、ソ連におけるコルホーズ(共同農場)、ソホーズ(国営経営農場)の形態に近い経営をとる予定でしたが、前述の構想の挫折と共に成美開拓の経営方針も大きく変更を余儀なくされ、土地の個人配分という結果となりました。その後、紆余曲折はありましたが、昭和34年から組合結束し、専業養鶏経営に取り組むことになりました。1戸500羽の目標を掲げ努力を重ねました。その後経営の拡大を図るべく、36年1月、成美養鶏開拓組合を結成。成美開拓9戸、近傍の朝岡開拓5戸、計14戸が大羽数養鶏団地(10万羽)の造成に乗り出しました。それから3年後、200万円の粗収入を上げるまでに成長。背水の陣の決断は成美開拓農業協働組合は専業養鶏の道をたどることになりました。この時期、高度成長は第一期から第二期へと進み、牛久市域は首都圏の一角となり、周辺を取り巻く環境は日一日と東京のベッドタウン化し、営農の続行が危ぶまれる状況となってきたので、町並びに周辺の住民の方々同意と協力により昭和46年勇断を以て区画整理事業に参画し、成美開拓農業協同組合も之を契機に解散する事となったのです。昭和55年に区画整理事業は無事完了しました。現在の栄町一帯は大規模養鶏団地だったのです。(成美開拓記念碑碑文から一部引用)

| 17:47 | 投稿者 : ushiku |
珍しくアイスバーンになった道路

 

昨夜再び雪になったようです。でも気温が高く積雪は僅かでしたが、道路が凍結、完全なアイスバーン状態で、スケートリンクのようでした。昨日雪を降らせた低気圧は遠ざかり、今日は移動性高気圧が通過するため、お天気は回復、ただし気温はあまり上がらないようです。このお天気も今日いっぱい。高気圧が通過した後、三つの低気圧が通過するため、明日は再び雪の可能性も出てきました。雪に祟られた三連休になりそうです。

| 09:10 | 投稿者 : ushiku |
大寒波の予兆

 

史上最強の寒波が来ると報道されていますが、北海道では記録的な低温が懸念されています。明日の朝の気圧配置を見ますと、三つの低気圧が本州を通過するため、関東でも積雪の可能性が出てきました。牛久の降水確率を見ますと、午前5時(20%)、その後徐々に上がり、午前10時(90%)、午後5時(50%)と降水確率は高い数値で一日維持されそすです。気温も氷点下1度〜0度が終日の気温です。この気温は気象庁始まって以来16年ぶりの記録になるとか。これでは間違いなく雪になるでしょう。早朝から降り出した雪はほぼ一日降り続きそうで、積雪量は多いかもしれません。写真は午後4時半の北西の空で、幾つかの層になっています。今日は木曜日に通過した南岸低気圧が遠ざかり、大陸からの高気圧の張り出しによって大きな崩れはなかったのですが、新たな三つの低気圧が発生、この動きによって大寒波と降雪という激しい天気になりそうです。

| 17:33 | 投稿者 : ushiku |
農業用水池から親水公園へ

 

岡見町にある「岡見親水公園」です。老朽化していた木道も更新され、綺麗な公園になっています。この公園も夏期には水生植物が繁茂して、この素晴らしい景観とは大きくかけ離れていきます。常にこの写真のような状態に維持されていれば良いのですが。

ところで、この親水公園は、元々農業用水池として活用されていました。明治14年陸軍省測地部の迅速測図「牛久村」という地図には記載されています。小野川の流域には古くから米作が行われていましたが、現在のように電動ポンプなどない時代です。そこで小野川流域の水田に引く水を農業用水池から引いていました。用水池の水は稲敷台地からの湧水と雨水を充てていたのでしょう。親水公園の先に流れる小野川は標高10m、親水公園は14m、背後の稲敷台地は20m〜24mという標高差となっています。

小野川流域の農業用水池は、牛久市域では、一つ目が常磐線と408号に面した、二池(通称・猿股池(前述の地図では本当に猿股の形をしていました)。二つ目はひたち野東の桜公園の延長線上にある遊水池。三つ目が岡見親水公園。四つ目は岡見城址の裏にある「山道池」です。

| 15:58 | 投稿者 : ushiku |
交通の要衝は今も変わらず

 

ここは国道6号小野川橋から撮影しました。下を流れる川は一級河川小野川です。左右の橋はJR常磐線、右上の高架道路は国道468号線(首都圏中央自動車連絡道・圏央道)です。この道路は高規格自動車専用道路という位置づけで、高速道路ではありません。さて、この四つの交通の要衝についてご説明しますと、

まず水戸道中(現6号・通称水戸街道)は徳川2代将軍秀忠の代になってからのことで、慶長9年(1604)に日本橋を五街道の起点として定めたのが始まりです。水戸道中は五街道に準ずる「脇往還」として整備されました。五街道と脇往還は幕府安泰のために江戸を防衛することを目的として、街道の要所に関所を置いて通行人を取り締まりました。参勤交代の大名の妻は人質として江戸住まい。国にも帰れませんでした。そして鉄砲が江戸に入るのを関所で防いだのです。それが「出女と入り鉄砲」です。そして、小野川ですが、今を去ること205年前、文化10年(1814・徳川11代将軍徳川家斉)に小野川水運という江戸までの物資輸送手段がスタートしました。この年に小野川流域の農家28戸が、幕府郡役所に小野川通伝馬造茶船(でんまつくりちゃぶね)の鑑札を申請し受理されました。この時代は江戸の人口が増え続け、エネルギーの枯渇が大きな問題となっていました。そこで、江戸を取り巻く周辺の村々に幕府は官有林にアカマツを植栽し、薪と炭にして江戸直納を義務づけました。その輸送経路となったのが小野川でした。このルートを「小野川水運」と呼ばれています。そして、常磐線は明治22年に水戸〜小山間が水戸鉄道会社によって開通していました。そして土浦〜田端間が明治28年に開通。田端〜上野間は明治29年に開通して、水戸〜上野間が完全につながりました。この当時の名称は「日本鉄道海岸線」でした。当時の常磐線は常磐炭坑から産出される石炭を京浜地区に運搬する動脈として整備されたものです。それから121年後、平成29年(2017)首都圏中央自動車連絡道(圏央道)が開通しました。いつの世も交通の要衝は変わらないですね。

| 17:21 | 投稿者 : ushiku |
南岸低気圧の置き土産

 

昨夜から未明にかけて南岸低気圧の通過で今年二度目の雪になりました。牛久での積雪は3cmほどでしょうか。畑や芝生は真っ白。道路は溶けた雪が明け方の気温で凍結し、ツルツルの状態でした。今年は記録的な雨なしで、降水量は僅かでしたが農家にとっては恵みの雨(雪)になったようです。今日から二月、あと三日で節分。その翌日が二十四節気の「立春」です。関東地方はこの時期が一番寒い時期です。本当の春まで、後一二回雪があるかもしれませんね。南岸低気圧が発生という予報が出たら、関東に大雪の可能性があります。写真は午前6時30分、日の出10分前の「田宮西近隣公園」です。

| 17:12 | 投稿者 : ushiku |