35000年前の旧石器人が住み始めた場所

 

もの凄い山間部のような光景ですが、何と、ここは住宅地(第2つつじが丘)北端に位置する「田宮西近隣公園」です。田宮町の雨水を調整する広大な調整池です。ここは稲敷台地の南端に位置し、台地から絞り出される地下水が刈谷川となって稲荷川に流入する小さな谷津の谷津頭でした。その後周辺の宅地が進み、雨水を調整する調整池に変わりました。この場所は、今から35000年前に、旧石器人が住み始め、縄文、古墳、弥生、奈良、平安時代まで壮大な年月の間、栄えた場所です。6000年前には、この場所まで太平洋の海水が入り込み、海の幸や周囲に控えるヤマから採れる山菜、木の実等が古代人の食料となっていまいました。

市内には多くの遺跡が発掘されましたが(何れも「整理遺跡」)、地形と古代遺跡を明確に関連づけられる場所は此処しかしかありません。(田宮西近隣公園東端からの眺め)

| 20:53 | 投稿者 : ushiku |
柏田川の上に出来た町

 

ここは中央通り(市道田宮中柏田線)とハナミズキ通りの交差点です。交差点の左手前側が眼鏡市場があります。この交差点は明治期には柏田川が流れていました。流れのルートは眼鏡市場かから洋服の青山を通って牛久シャトー(ロイヤルホームセンターとシャトーの間)裏に出て、近隣公園、市役所分庁舎と郵便局の間というルートで県道272号線(暗渠)で横切り中央図書館、東洋大牛久高校の南側を流れ、小野川に注いでいます。この川の管理区分は準用河川で牛久市が管理しています。牛久市は稲敷台地で、乏水地帯という環境のため農作物は作れませんでした。そこで、中小河川には必ずと言って良いほど、「溜池」が設けられていました。牛久シャトーの裏一帯は溜池で、神谷傳兵衞さんも葡萄栽培に溜池の水を利用したことでしょう。

| 18:59 | 投稿者 : ushiku |
稀勢の里に子どもたちの応援が届いているか

 

大相撲秋場所に8場所連続休場の稀勢の里が出場、盛り上がっていますが、8日目の取り組みで、小結玉鷲に敗れて早くも二敗となりました。何とか復活して欲しいと、牛久第2小学校では、各クラス毎に応援のメッセージを書き込んだ稀勢の里応援の昇り旗が今場所も登場。風に揺れています。子どもたちのためにも負け越して休場にならないよう頑張って欲しいですね。

| 20:09 | 投稿者 : ushiku |
稀勢の里頑張れ

 

牛久市役所の正面に横綱稀勢の里関と書かれた2本の大きな昇り旗が風になびいています。8場所連続休場で秋場所に進退がかかる稀勢の里関。昨日まで4連勝。このまま千秋楽までがんばって欲しいと願っています。

| 16:54 | 投稿者 : ushiku |
忘れられた古の式日「重陽の節句」

 

今日は、「重陽の節句」(ちょうようのせっく)です。重陽の節句とは、五節句の一つで、江戸時代に定められた5つの式日(今でいう祝日・旧暦)をいい、1月7日の「人日の節句」(じんじつのせっく・七草粥)、3月3日の「上巳の節句」(じょうしのせっく・桃の節句/雛祭り)、5月5日の「端午の節句」、7月7日の「七夕の節句」、9月9日の「重陽の節句」をさします。そして、9が重なるめでたい日は、秋の収穫を盛大に祝う節句で、かつては、菊や栗を食べて宴会を開いたと言われています。古来、奇数は縁起の良い陽数、偶数は縁起の悪い陰数と考え、その奇数が連なる日をお祝いしたのが五節句の始まりで、めでたい反面悪いことにも転じやすいと考え、お祝いとともに厄祓いもしていました。中でも一番大きな陽数(9)が重なる9月9日を、「陽」が重なると書いて「重陽の節句」、別名「菊の節句」と定めました。この古くから伝わる古(いにしえ)の式日は忘れられようとしています。この時期に注目されるのは「ハッピーハロウィーン」でしょうか。大型ショッピングモールなどではハロウィーン一色です。

この時期には菊がありませんので、ホームセンターの菊を掲載しました。

| 19:54 | 投稿者 : ushiku |
夏の終焉を知らせる朝焼け?

 

今朝5時15分、日の出直前の東の空です。東の空は真っ赤に燃えるような光景が広がりました。天気俚諺に「朝焼けは雨」というのがありますが、今日は薄雲の広がる一日でしたが、雨にはなりませんでした。気温は34度ほどの真夏日になりましたが、乾燥していたため、凌ぎやすい一日でした。

そろそろ秋支度の季節がやってきました。今日は二十四節気「白露」(はくろ)です。そして七十二候(初候)「草露白」(くさのつゆしろし)です。その名の通り、野の草に露が宿り、秋の趣がひとしお感じられる時期になりました。「白露も夢もこの世もまぼろしもたとへていへば久しかりけり」は、後拾遺和歌集に収められた和泉式部の一首です。今年は猛暑、災害が続きですが、そろそろ全て終息して欲しいですね。気温の方も月曜日までが夏日、その後は急速に秋めいてくるようです。

| 19:32 | 投稿者 : ushiku |
牛久市の地震計

 

牛久市役所の正面玄関右脇にある、地震計です。地震の都度、河童メールで震度を送ってくれる地震計です。この地震計は、総務省消防庁では、阪神・淡路大震災を契機に、平成7年度第2次補正予算において 都道府県の震度情報ネットワーク整備に対する国庫補助事業を実施しました。震度情報ネッ トワークは当初、/姪抃廚稜枷による市区町村での初動対応の迅速化、⊃姪拆霾鵑 市区町村、都道府県及び消防庁間にネットワークで速報することによる広域応援体制確 立の迅速化を目的とし、「1市区町村1観測点」を原則として整備されたものです。 その際、気象庁の計測震度計及び(独)防災科学技術研究所の強震観測網(K-NET)の強震計 が設置されている市区町村については、それらを活用することとしました。その後、都道府県震度情報ネットワークにおいて観測された震度情報は、気象庁へ情報提供され、報道 関係機関を介して一般住民へ公表されるようになりました。 気象庁においては、国の初動対応の確立を目的として、甚大な被害の発生が懸念される震度6弱以上の揺れの地域を確実に把握するための観測網となるよう震度計を配置し ています。

| 20:11 | 投稿者 : ushiku |
忘れられた放射線の測定結果

 

2011 年3月11日に発生した東日本大震災で福島原発が爆発し、放射能汚染が起こりました。それ以来放射能については厳しい目で見てきましたが、放射能の減衰もあり、放射能を語る人も居なくなったのが現実です。この放射能を国(環境省)が示している毎時0.23マイクロシーベルト(μSv)の算出根拠について、環境省では、放射性物質汚染対処特措法に基づく汚染状況重点調査地域の指定や、除染実施計画を策定する地域の要件を、毎時0.23マイクロシーベル ト(μSv)以上の地域であることとしました(測定位置は地上50cm〜1m)。この数値は、追加被ばく線量年間1ミリシーベルト(mSv)を、一時間あ たりの放射線量に換算し、自然放射線量分を加えて算出されています。この基準に合わせて牛久市では市内全ての公園を写真の様なプレートを設け、現在も定期的に測定が続けられています。最初の頃は子どもを持つ親はこのプレート釘付けになっていました。現在は基準値を大きく下回り往事の安全が戻ってきましたが、このプレートの存在を殆どの人は忘れてしまっているようです。

| 17:50 | 投稿者 : ushiku |
防災の日の防災訓練

 

早いものですね。今日は9月1日、立春から数えて二百十日目です。この日を二百十日と言いますが、最近は殆ど使われなくなり、「防災の日」が主流となりました。この時期は、大風が吹きやすいなど、昔から農家の厄日とされてきました。五代将軍綱吉の頃、幕府天文方の、渋川春海(映画にもされた小説「天地明瞭」の主人公)がこの日に釣りに行き、漁師から教えられて貞享暦(ていきょうれき)に載せたのが始まりとされています。また、今日は、関東大震災の惨禍を教訓に防災意識向上のために制定された「防災の日」です。家庭や職場で、万が一の際は避難場所を再確認し、防災用品の点検をおこないたいですね。

丁度この日に合わせるかのように、牛久消防署のご指導を頂き、ボランティアリーダーを対象とする防災訓練が行われました。三角巾の使い方と実践、簡易担架の作り方等々、参加された100名のリーダーに熱がこもった研修となりました。

| 17:31 | 投稿者 : ushiku |
この交差点が谷津頭

 

ここは左右が県道272号線(牛久停車場線)と花水木通りの交差点です。現在では花水木通りが牛久市のメインストリートとなっていますが、以前は牛久の表玄関というと、西口でした。商店街が続く賑やかな駅前通がありました。現在は東口が開設されてからは、表玄関は東口に移ってしまったようです。特に西口の相次ぐ大店(西友、イズミヤ)の撤退は大きいと思います。この交差点付近の明治期は荒れ地、草地、広葉樹林、畑地などが続く寂しい場所でした。特にこの交差点付近まで、みどり野方向からの谷津が伸び、この交差点付近が谷津頭(谷津の最奥部)でした。ここ谷津頭から、写真左下方向→常陽銀行→浅間神社→みどり野団地(広大な谷津田)と谷津は牛久沼まで繋がっていました。今では当時の面影は微塵もありません。

 

 

| 15:26 | 投稿者 : ushiku |