タケノコのある風景

 

牛久市の郊外を走ると、そこかしこでタケノコの風景に出会えます。現在目立っているのは「孟宗竹」で、旬の食べ物として珍重されています。タケノコは地中にあるうちに節が全て(孟宗竹で約60)形成され、根に近い節から順に伸長していきます。節の数については、「同じ地下茎なら皆同じ」との調査結果があります。 また、固いタケノコの皮(稈鞘)は柔らかい本体(稈)を保護するだけでなく、節の成長を助ける役割を持っています。このため若竹の皮を取ると、その節の成長は止まってしまう。地上に顔を出してから間もなく成長が止まり、そのまま枯れて腐ってしまう、「止まりタケノコ」と呼ばれる現象があり、止まりタケノコの数は全体の半数から7割に達するといいます。すなわち、タケノコは過度に採取しなければ、竹林の成長に影響しないそうです。

| 16:26 | 投稿者 : ushiku |
旧岡田小学校女化分校が間もなく登録有形文化財に

 

女化開拓の文化遺産とも言うべき、現「女化青年研修所」が文化庁の国指定登録有形文化財(建造物)の指定に向けて動き出しました。3月9日の文化庁の文化審議会が文科相に答申、今後は手続きを経て6月頃に登録される見込みです。

女化開拓は、当時の内務卿大久保利通の命を受けた元紀州藩士、陸軍少将「津田出」(つだいずる)が明治11年、官有地の開拓を始めました。不毛の大地と呼ばれ、全く作物も育たないこの地を、津田は肥沃な農地に替えたいと、女化の地に津田農場の内最大の第七農場を作り、人手は、徳島からの入植者に頼りました。しかし、開拓は難しく、政府主導の開拓は挫折し、第七農場の農地は入植者に一部払い下げられました。しかし、広大な土地です。広大な土地は入植者の手に負えるものでは無く、その大部分は、神谷傳兵衞と竹内綱(吉田茂の父)が取得しました。こうして女化開拓は新たなスタートを切ったのです。入植者は苦労を重ねた末、取得した農地の開拓も順調に進み、子どもたちのためにと私立の学校を作りました。この時、明治31年「私立女化尋常小学校」がスタートしたのです。そして、明治40年10月公立となり「岡田村立女化尋常小学校」に名称変更。明治42年には岡田村立女化第四尋常小学校に名称変更。昭和12年牛久村・岡田村の合併で「岡田小学校女化分教場」に名称変更。昭和47年学校の統廃合で「女化分教場」は廃校になりました。現在の研修所は昭和12年建設されたもので、80年の歴史があります。

| 17:15 | 投稿者 : ushiku |
調整池が出来て変わる風景

 

再び大荒れの天気になりました。今朝は青森湾にある低気圧から伸びる前線が日本列島を縦断しながら、雨を降らせました。

今日は二十四節気(清明)の七十二候(末候)「虹始見」(にじはじめてあらわる)です。太陽高度が高い日中、虹は低いところにしか見えませんが、雨の後や朝や夕方には、運が良ければ空いっぱいに広がる虹に出会えるかもしれません。その出現に出会えるだけで、何となく希望が湧いてくる自然現象です。季節は初夏に向かってまっしぐらです。

写真は、市街地の真ん中にこんな長閑な風景が見られるようになりました。つつじが丘と刈谷の間を流れる刈谷川(準用河川)の調整池です。刈谷川は幅が2m程で三面コンクリートですが、大雨の後は増水し、周辺の谷津田は完全に水没するほどでしたが、調整池の二期工事が昨年終わり、大雨による増水は全くなくなりました。手前の花は「ヤマボウシ」です。

| 17:09 | 投稿者 : ushiku |
花水木通りのハナミズキが満開

 

牛久のメインストリート「花水木通り」に植栽されている「ハナミズキ」がほぼ満開になりました。ハナミズキは「ヤマボウシの」の仲間で、「アメリカヤマボウシ」とも呼ばれています。牛久はまだ若木ですから迫力に欠けますが、将来が楽しみです。日本における最初の植栽は、1912年に当時の東京市長であった尾崎行雄が、アメリカワシントンD.C.へ桜(ソメイヨシノ)を贈った際、1915年にその返礼として贈られたのが始まりとされています。この話は、1981年改訂版の日本の中学生向け教科書『NEW PRINCE』中3版でもエピソード的に取り上げられました。贈られたハナミズキは全部で60本で、うち白花の苗木が40本、ピンク花の苗木が20本で、日比谷公園、小石川植物園などに植えられました。 

| 16:41 | 投稿者 : ushiku |
一般国道6号牛久土浦バイパス工事が進む

 

一般国道6号牛久土浦バイパスの事業化が決定し、牛久市内の工事も進んでいます。一般国道6号は、東京都中央区から柏市、土浦市、水戸市などを通過し、仙台市に至る延長約375km の主要幹線道路です。牛久土浦バイパスは、一般国道6号(現道)の渋滞解消や圏央道へのアクセス道路としても機能する延長5.2kmのバイパス事業です。現在は国道6号根古屋地区の地盤強化工事が進み、城中へと進んでいます。この事業は、国道6号の牛久駅〜荒川沖駅周辺の市街地で慢性的におきている渋滞を解消し、道路交通機能を回復させることを目的に計画され、平成6年4月に、牛久市遠山地先〜土浦市中地先の区間、延長15.3kmが都市計画決定されました。また国道6号の渋滞解消だけでなく、圏央道のアクセス道路の機能を併せ持つ道路です。写真は城中町の牛久城址大手門付近です。埋蔵文化財の調査も一部は終了し、更に調査が開始される予定です。

| 19:01 | 投稿者 : ushiku |
辛夷の並木道

 

辛夷が満開になりました。ここは牛久郵便局と牛久市役所分庁舎・保健センターの間の短い区間です。辛夷が街路樹に植えられるのは中々珍しいですね。市内では、県道牛久停車場線(ケヤキ通り)の欅。新地の稲荷川外堤の桜並木。市道花水木通りの花水木が有名ですが、辛夷はここだけです。シャトー通りの終点から外れてほんの短い区間、何故辛夷?

| 17:20 | 投稿者 : ushiku |
ここにもあった歴史遺産(5)

 

筑波南桂工業団地内(ゼリア新薬事業所前)にある、「獅子見塚古墳」です。工業団地の整備から免れ、綺麗に保存されていますが、古墳の標識が無く、古墳の墳頂部が崩壊しています。今すぐ整備が望まれます。この古墳は市内では数少ない「前方後円墳」です。過去の調査では、墳長32.7m、後円部径27.3m、同高2.2m、前方部高0.8m。円筒埴輪、形象埴輪、雲母片岩破片 が発掘されています。

| 16:15 | 投稿者 : ushiku |
番外編「野田市の醤油産業の歴史を訪ねて」

 

今日は景観まちづくりネットワーク恒例の先進地まちづくり研修でした。行き先は千葉県野田市です。キッコーマン醤油創業の地で、企業城下町の野田の町をくまなく歩きました。案内は野田市民会館を拠点に活動されていいる「むらさきの里 野田ガイドの会」の皆様でした。午前10時から12時迄、ゆっくり歩いて約7km。野田の町は何処から何処までもキッコーマン一色で、多くの建物が「近代産業遺産」に指定された文化財級の建物と創業者一族の豪邸には当時の生活の仕組みが各所に取り入れられ、感動しきりでした。お二人のガイドさんに分かりやすい解説を頂き、あっという間の2時間でした。写真は(「野田の醤油発祥の地」の石碑前のガイド風景)

牛久市景観まちづくりネットワークでも、来年度には牛久市の歴史まち歩きガイドを立ち上げたいと検討を進めています。

| 18:17 | 投稿者 : ushiku |
ここにもあった歴史遺産(4)

 

下根町の牛久警察署北側にある「愛宕脇古墳」です。円墳で、墳頂には愛宕神社が祀られています。当初はもう少し大きかったようですが、西側が削られてしまったようで、小さくなっています。大きさは、東西19.5m、南北19m、同高2.2m  周溝があったようですが、現在は見られません。この古墳も古墳という標識は何処にも見られず、近隣の人も小さな小山の神社としての認識しかないのではないかと思います。(県道272号線、牛久警察署の北側にあります。県道から見えます)

| 18:47 | 投稿者 : ushiku |
ここにもあった歴史遺産(3)

 

ここは牛久駅東口から僅か260mのところにある牛久市南地区の浅間神社です。小さな起伏のある山を富士山に見たて、富士山の浅間神社となりました。ここの起伏は古墳時代の古墳で、正式名は「富士山古墳」(円墳)です。市内には多くの古墳があり、その大半が神社として信仰の対象になっています。神社があれば、粗末に出来ないと言うことで、歴史遺産を後世に残すことが出来ますが、本来の古墳としての標示が殆どないことは寂しい限りです。

| 18:59 | 投稿者 : ushiku |