牛久の一里塚

 

国道6号線ひたち野うしくと土浦市の荒川沖の行政区界にある一里塚です。ここは牛久市と土浦市の境にあるため珍しく国道の両側に一対の一里塚になっています。国道の東側が「中根一里塚」、西側が「荒川沖一里塚」です。いずれも教育委員会の標識があります。

徳川幕府は、1604年街道の整備に取りかかり、五街道を作りました。東海道、中山道、奥州道中、日光道中、甲州道中が五街道です。水戸道中は五街道に準ずる「脇往還」とされました。水戸道中の江戸の起点は日本橋ではなく、現在の金町付近の「新宿(にいじゅく)からでした。新宿から水戸まで30里(120km)の行程でした。そして、牛久には三つの一里塚が設けられました。江戸寄りに「成井一里塚・江戸から14番目」(遠山町)。「田宮一里塚・江戸から15番目」(田宮町信号松屋前)。そして、「中根一里塚(江戸から16番目)」です。これらの一里塚には、高さ(1丈・3m)、面積(5間四方・9m)の塚が設けられました。三つの一里塚のうち、田宮一里塚は標識が1本ありましたが、ここにあったファミレスが撤退した後に整地され標識も無くなってしまいました。*街道の名称は、街道ではなく「道中が正式名称です」、したがって「水戸街道」とは呼びません。

| 17:52 | 投稿者 : ushiku |
盆に無くてはならない禊萩

 

お盆は正式には「盂蘭盆(うらぼん)」と呼ばれ、サンスクリット語の「ウランバナ」を漢字に当てた言葉だといわれています。釈迦の教えを乞うた弟子の目連が、布施や供養を多くの人々に施したところ、その功徳で餓鬼道に落ちて苦しんでいた母を成仏させられたという言い伝えがあり、その先祖供養の日として旧暦7月15日を盂蘭盆(うらぼん)とした、という説があります。そのお盆に無くてはならない植物、それが「ミソハギ」です。ミソハギは盆花や精霊花という別名の通り、お盆には欠かせない花となっています。これは、漢字で「禊萩(ミソギハギ)」と表記することが関係しています。ミソハギは、お盆に作る精霊棚のごはんの横に配置されます。これは、お盆で供養する餓鬼は、のどが狭くごはんが食べられないことから、水とのどの渇きを抑える作用のあるミソハギを添えておくためです。また、お盆や祭り事に利用されることから、禊萩という漢字が当てられたとされています。

かつてのお盆は7月15日を中心にした、旧暦の7月13日から16日までの4日間で行われていました。現在では一部の地域を除き、8月13日から16日までの4日間で行われる場合がほとんどとなりました。この期間は「月遅れのお盆」とも呼ばれます。月遅れの盆が旧暦から約一か月遅れで行われるのは、新暦の7月15日前後が農作業の繁忙期であるためだといわれています。このため、旧暦の7月15日前後にあたる新暦8月13日から16日にかけて、お盆が行われるようになったのです。これに対し、東京などの一部地域では、新暦となっても旧暦同様の7月13日から16日にかけてお盆が行われており、これを「新の盆」と呼んでいます。

| 19:01 | 投稿者 : ushiku |
外食チェーン店の植え込みに有毒植物の群落?

 

ここは、国道6号に面した大手外食店の植え込み(周囲の植え込みほぼすべてお花畑になっています)です。手前の小さな白い花に問題があります。この花は、「ワルナスビ」(悪茄子)というナス科の外来植物です。名前からして何となくいかがわしい感じがしませんか? 原産国はアメリカ南東部(カロライナ州)で、現在は全世界に移入分布している強雑草です。名付け親は牧野富太郎博士で、明治36年、成田の御料牧場で初めて発見、命名されました。

花はナスそっくりですが、今では外来生物法で要注意外来生物に指定され、有害植物(有毒植物)としてマークされ、除草を推奨されています(国立環境研)。ワルナスビは、長い強烈な棘があること、全草にソラニンという有毒成分(家畜に影響があるアルカロイドを含む)があるため、家畜が食べると死に至ります。何故この場所だけに集中しているのかはわかりませんが、異様な光景です。近日中にここの店長にお話ししたいと思います。

 

| 21:16 | 投稿者 : ushiku |
ひたち野うしく七夕フェスタ

 

ひたち野うしく駅コンコースで「ひたち野うしく七夕フェスタ」が行われています。ワークショップが出たのは昨日6日でしたが、七夕飾りは今日まで飾られています。主催「ひたち野うしくまち育て協議会」で、ひたち野うしく地区に「人人ニュータウン」が完成しましたが、当時はニュータウンと言っても入居者も少なく、知らない人ばかりの寂しいまちでした。この町を元気なまちにしようと、URの関連会社「筑波都市整備株式会社」は、ひたち野うしく地区において、地域コミュニティの醸成を図り、「活き活きと暮らし続ける街づくり」を目指し、地域住民、NPO法人、企業及び公共団体が一緒になって様々な活動を行うことを目的に、平成21年4月1日に発足しました。その名は「ひたち野うしくまち育て協議会」です。当初はすべて手作りで、七夕の竹の切り出しから始まって、駅コンコースで各種団体によるワークショップが行われてきました。そして、人口が増えるに従って、このイベントは完全に定着しました。ひたち野うしく地区は市内でも一番若いまちとして、牛久市の高齢化率にブレーキをかけています。

| 16:24 | 投稿者 : ushiku |
梅雨中休みの空

 

久しぶりに梅雨の中休みになりました。今朝の午前6時の南の空(田宮西近隣公園から)です。遙か遠くに梅雨前線が見えます。今日の天気図を見ますと、梅雨前線に刺激を与えた低気圧は去りましたが、日本列島の太平洋沿岸部には梅雨前線はしっかりと停滞しています。そして、明日はその梅雨前線に再び低気圧が発生、梅雨空が復活します。中休みは今日まで。関東地方では雨の一日になりそうです。梅雨末期の天気は、前線の南にある太平洋高気圧(小笠原高気圧)と北にあるオホーツク海高気圧の間に挟まった梅雨前線はこの両者の高気圧の鬩ぎ合いになります。そして、太平洋高気圧の勢力が強まって、前線を北に押し上げると梅雨明けとなります。梅雨明けの平均は7月21日ですが、今年の異常気象ではどうなりますか。

| 20:27 | 投稿者 : ushiku |
寂れゆく牛久宿

 

江戸時代に栄えた牛久宿の現在。6号国道のバイパスのようになっていますが、通る車も少なく、寂しい街道になっています。ここは、明治天皇牛久行在所(あんざいしょ)の石碑が建つ、飯島家のお宅です。ここは、明治17年(1884)11月27日〜12月10日まで女化ヶ原で行われた陸軍砲兵大隊の大砲射的訓練の天覧の際に明治天皇のお泊まりになったところです。明治天皇の天覧は12月8日にでしたが、前日の7日にここ飯島家にお泊まりになりました。飯島家のお泊まりになった明治天皇は翌朝、馬車で女化が原に出発しましたが、長旅のお疲れで、女化神社の宮司の離れにしばらく休養したと言われています。また、ここ飯島家は、江戸時代後期に勃発した「牛久助郷一揆」の宿場役役人「麻屋治左右衛門」の名主のお宅で、一揆による打ち壊しの舞台になった場所でもあります。(写真左石柱)

 

 

| 22:01 | 投稿者 : ushiku |
若い人の移住を願いたい

 

田宮町周辺の宅地造成が盛んです。この場所は従来農地でしたが、暫く休耕地になっていて、その後家庭菜園として、活用されていました。その菜園にデベロッパーが入り、宅地造成が進んでいます。数十戸規模の宅地になりそうです。また建売住宅も多く、駅や小学校に近いというメリットから、若い人の入居者は増え続けています。

| 15:13 | 投稿者 : ushiku |
颶風にあそぶ

 

中央生涯学習センターのロータリーに設置されている今年の彫刻は、ロシアやフランス、中国など毎年世界中のシンポジュームに参加して活躍しておられる金属の彫刻家「サトルタカダ」さんの金属彫刻です。来年の3月まで展示されています。

タイトル・・・「颶風にあそぶ」 作者 サトル タカダ・・・

作品コンセプト

 「時代の中で惑わされず己の世界を飛ぶことをつらぬきたいと意志を表したものです。この題名は、与謝野晶子の歌より触発されたものです。「颶風」(ぐふう)とは強風、台風の如くを言います」(原文のまま) *颶とは「つむじ風」とも読ませますが、この作品の読ませ方は「ぐ」でした。

 

| 17:36 | 投稿者 : ushiku |
懶げな雨

 

「夏至」を過ぎたら、急に梅雨らしくなってきました。今日は待ちに待った雨が降りました。 「五風十雨」は、五日ごとに風が吹き十日ごとに雨が降る順調な天候を言い、世の中が平穏無事であることの例えです。また。この頃のシトシトと降る陰鬱な雨は、古来より「懶げな雨」(ものうげなあめ)と表現されてきました。しかし、この雨が大切な水資源になると思えば、少しは元気が出てきませんか?  夏至に入ったばかり、紺碧の夏空が広がるのはまだまだ先になりそうです。(田宮町笹塚から牛久駅方面遠望)

| 17:58 | 投稿者 : ushiku |
牛久運動公園武道館

 

牛久運動公園に武道館が完成して早三ヶ月が経過しました。すでに武道で使われていますが、今年9月の茨城国体でも使われる予定です。鉄骨の建物と違い、木質のしっとりとした建物は、まさに武道の道場という感じがしました。運動公園には、メインアリーナ、サブアリーナ、多目的広場、野球場、室内プール、テニスコート等があり総合運動公園としての機能が充実してきました。

| 17:08 | 投稿者 : ushiku |