日本の原風景、谷津田が消滅か

 

牛久市内で一番美しかった谷津田がとうとう休耕田に近づいています。ここは上太田土地改良区です。カントリーラインの南側になります。10年ほど前には、谷津田の模範のような美しい谷津田でした。しかし、年々耕作地が減って、今年は斑模様です。寂しくなりました。やはり農家の高齢化が進んでいるのでしょうか。谷津田は、大地に深く入り込む谷で、一番奥が「谷津頭」と言います。そこには台地から絞り出される湧水によって、谷津の中には小さな流れが形成され、その水を利用して、湿田が形成されていたのです。湿田ですから大型機械は入れず、しかも米の収率は極めて悪かったと考えます。そこで、近年に入り、乾田化するための土地改良が行われました。乾田ですからトラクターも入り、田植えも田植え機で効率は大きく向上しました。しかし、少子高齢化にはなすすべがなかったのかも知れません。

| 16:02 | 投稿者 : ushiku |
卯の花の匂う頃

 

五月雨が続き「若葉寒」が続きましたが、お天気はやっと落ち着きました。この時期に野山や川辺に自生し、庭や垣根にも植えて親しまれているユキノシタ科の落葉低木である「卯木の花」が満開です。幹が空洞になっているので「空木」と記すこともあります。「卯の花」は陰暦4月、陽暦では5月に咲くため、初夏の季語になっています。五弁の真っ白い小花が集まって咲く風情は、可憐で印象深く、夏の到来を告げる花とされています。江戸時代には、4月8日に仏前や門口に卯の花を飾るのに風習があり、卯の花売りもいました。市内で空木が見られるところは、特に農村部の畑の境界に植えられているため「境界木」と呼ばれています。

| 17:24 | 投稿者 : ushiku |
間もなく雨の季節

 

鬱陶しい五月雨が続きますが、田んぼの稲はこの雨で生気を取り戻しています。本格的な梅雨はもう少し先ですが、沖縄では既に梅雨に入り。梅雨前の少しだけ降る「ひと湿り」の雨にはそれぞれ「零雨」「涙雨」「小糠雨(こぬかあめ)」「糸雨(しう)」「疎雨(そう)」「微雨(びう)」「朦雨(もうう)」など美しい名前があります。中でも「袖傘雨(そでかさあめ)」は、袖を傘がわりにして雨を凌ぐ小降りの雨のことです。「肘傘雨(ひじかさあめ)」が俄雨を凌ぐ慌ただしさがあるのに対して、「袖傘雨」には上品な情景が浮かんできそうな響きがありますね。もうこの時期は雨と切っても切れない季節になってきました。

| 16:26 | 投稿者 : ushiku |
美しい谷津田の景観

 

牛久は稲敷台地の南端に位置するため、低地から侵食された谷津(谷戸)が台地に入り込んでいます。牛久の谷津は陥没低地と言われる牛久沼と標高はほぼ同じです。この地形ですから、6000年前の縄文海進(地球は暑く、大陸の氷床が溶けて海面が上昇)では、海水が谷津の奥まで侵入していました。谷津の一番奥を「谷津頭(やつがしら)と言いますが、その最奥部の台地上には古代人の住居がたくさん作られていました。谷津頭には海の幸が豊富で、古代人はこぞって住まいを作ったのでしょう。特に古い時代の遺跡として、田宮西近隣公園(調整池:田宮町)の台地上、県道野田牛久線では35,000年前の旧石器時代の遺跡が見つかりました。谷津田は、隣接する林地と合わせ、多様な種の植物の生育、昆虫や小動物の生息に適した環境であり、豊かな生態系が形成されていますが、農作業の担い手不足、高齢化などにより荒廃し原野化したところも増えています。後世に残したい貴重な自然です。(写真は城中町の特養元気館前の谷津田)

| 17:44 | 投稿者 : ushiku |
道路法適用外の里道

 

「里道(りどう)」という言葉を聞いたことがありますか? 道路は、明治9年、太政官布告第60号により、その時点で通行に用いられていた道状の土地は、その重要度により「国道」「県道」「里道」に分類されました。その後、大正9年の旧道路法施行により、里道のうち重要なものは旧道路法が適用される道路である「市町村道」として認定されましたが、重要でない里道は、旧道路法が適用されない、国有財産法上の公共用財産として管理されることになりました。昭和27年には現在の道路法が施行されましたが、重要でない里道は、国有ですが道路法の適用を受けない道として、財産としての管理は県、機能面の管理は市が行ってきました。平成17年4月1日以降は、地方分権の推進を図るための関係法律の整備等に関する法律による国有財産特別措置法の一部改正に伴って、市町村が申請すれば、実際に道路としての機能を有している里道は、市町村の財産となりました。ただし、道の機能が失われており、今後機能回復を必要とする見込のない場合には、そのまま国(財務省)が管理することになりました。道路法が適用される国道・県道・市道のように、法律が適用されるものは「法定公共物」と言いますが、里道は道路法が適用外という意味で、「法定外公共物」と呼ばれています。里山の中にはこのような道路がたくさんあります。

| 17:16 | 投稿者 : ushiku |
薫風になびく早苗たち

 

牛久の田植えはほぼ終了しました。田植えしてから三日もすれば、早苗は根が活着し、しっかりと薫風に耐えています。田植えの終わった情景をこまめに観察してみると、まっすぐに植えられた美しい田んぼと、そうでもない田んぼがあります。これは機械のせいなのか、オペレーターのせいなのかは分かりませんが、ものすごい差があります。ただ、綺麗、汚いという感覚での判断は不要です。要は豊作であれば良いわけです。でも、田植えの終わった田んぼの光景は「日本の原風景」と言っても過言ではありません。(稲荷川土地改良区)

| 19:42 | 投稿者 : ushiku |
孟宗竹根絶に期待

 

孟宗竹の放置竹林が社会問題になっています。地すべり等土地の崩壊を招くというのが大きな問題です。更には管理が行き届かず、宅地まで侵入する竹。竹は利用価値がないためなのでしょうか。春先のタケノコのシーズンが過ぎると、後は何の役にもたたまない。更には竹林の所有者が高齢化してかなりの労力を費やす竹林の管理は滞ったまま放置されています。最近、「竹の1メートル切り」が注目されています。竹を枯らすには1m切りをする時期が重要なポイントになります。12月から翌年2月にかけては竹が水を吸い上げなくなる冬眠時期。その間に1mの高さで切られると、竹は切られたことに気づかず、春になると旺盛に根が水を吸い上げてしまうようです。その証拠に、1m竹の切り口をのぞいてみると、切り口から溢れた水が溜まっています。竹はピーク時には一日に2〜3mも伸びるほど生長スピードが速く、グングンと伸び続ける竹が全身に水を巡らすには相当な吸水力があるはずです。切られたことに気がつかない1m竹は、春にそのままの勢いで水を吸い上げ、オーバーフローしてしまいます。結果、次第に根や地下茎の養分まで使い果たし、一年も経つと根っこもろとも枯れてしまうということです。出典:「現代農業 特選シリーズ 竹の徹底活用術」

| 17:26 | 投稿者 : ushiku |
新緑が眩しくなる季節

 

今日の日本列島は移動性高気圧に覆われるため、全国的に爽やかなお天気になりました。5日の立夏を過ぎ日毎に力強さを増していく新緑が目にも眩しくなる季節です。新緑を眺めると条件反射のように「目に青葉  山時鳥  初鰹」のフレーズが浮かびます。江戸中期の俳人、山口素堂の句です。ホトトギスは夏とともにやってくる渡り鳥。初鰹は初夏、黒潮に乗って北上するカツオ。初夏の風物詩を並べるというシンプルさが心に響き、来たる夏に心躍る気持ちは同じなんだと、なんだかうれしくなりますね。(新地、稲荷川外提)

| 13:49 | 投稿者 : ushiku |
佳境に入った田植え

 

田植えの季節がやってきました。田植えはできるだけ早く作業を終えることを要求されたことから、労働力を提供し合う「結(ゆい)」(相互扶助の精神)といった協同作業で行なわれました。「結」は家を越えた結びつきですから、配偶者を選ぶ機会の少ない昔においては貴重な場でもあり、それで田植えで歌われる「田植え唄」には男女間の恋愛感情を歌った内容を含んだものも多いようです。しかしもとはといえば「田植え唄」は神事唄の色合いが濃く、田の神を迎え、その加護と恩恵を願うという神事性の強いものでした。陰暦五月のことをいう「皐月(さつき)」、田植えをする女性をいう「早乙女」、田植えに用いる稲の苗をいう「早苗」の「さ」は、この田の神を示すものだといったのは国文学者の柳田国男でした。多くの時間を費やして行った田植えも、機械化が急速にすすみ、1反(約10アール)当たり1人30時間も要していた作業も2時間ほどで終えるようになるとともに、田植え唄はもとより田植えの神事的な色合いはすっかり払拭されてしまいました。

| 15:39 | 投稿者 : ushiku |
田植えが始まった

 

牛久は五月のゴールデンウイークに一斉に田植えが始まります。でも今の米作は文明の利器が使えるため、本当に楽になったようです。田起こし、代掻きはトラクターで一気に。そして田植えも田植え機で、あっという間に田植えは完了です。昔の家族総出での手植え(田植え)が想像できません。田植えが終わり、気候も良ければ、8月初めには「出穂」、9月初めには「稲刈り」となります。稲にとっての不安材料は、いもち病と紋枯病の他、カメムシ類、ウンカ類の害虫が収量に大きく影響を及ぼします。今年も豊年満作でありますよう祈るばかりです。

 

 

 

| 17:16 | 投稿者 : ushiku |