なごり雪の一日

 

今年は二度目の雪になりました。日本列島の太平洋上にある低気圧によって、関東地方は雪の舞う寒い一日になりました。19日に二十四節気の「雨水」でした。雨水とは、「雪は春の雨に変わり、雪解けが始まる季節」とされています。今日の雪は春になってから降る雪で「なごり雪」と言い、春の季語になっています。また、「忘れ雪」「雪の果て」など、美しい別称もあります。

(写真は午前6:30)

| 20:07 | 投稿者 : ushiku |
田起こしが始まった

 

田起こしが始まりました。春になると田んぼを掘り起こして、眠っていた土を目覚めさせます。これを「耕起」、「田起こし」、「田打ち」等と言います。土壌を細かく砕くことによる排水性、通気性、保肥力、保温性の向上、有機物分解の促進、雑草の種子の不発芽化など、たくさんの効果があります。土がほぐれるとミミズやバッタが顔を出し、それを目当てにスズメやツバメがやってきて、田んぼがにぎやかになります。稲作の始まりです。そろそろコブシが咲き出す時期で、コブシの別名を「田打ち桜」と呼ばれています。

| 19:10 | 投稿者 : ushiku |
厳しい寒さの中忍び寄る春

 

午前7時7分、日の出から30分後(今朝の日の出6:28)の里山の風景です。地面は霜で真っ白。手前の里山を越えて顔を出した太陽が前方の里山を照らし出した瞬間です。今日2月14日は二十四節気「立春」の七十二候(末候)「魚上氷」(うおこおりにあがる)です。春の暖かさで湖や川の氷が割れ、氷下で泳いでいた魚が氷の上に跳ね上がる頃」とされています。温かくなった水の中に、ゆらゆら泳ぐ魚の姿がよく見え始める頃です。土筆も芽を出し、猫柳もかわいい雄花をつけました。暦の上でもすっかり春、もう後戻りできません。忍び寄る春をしっかりと受け止めたいですね。

| 20:13 | 投稿者 : ushiku |
忘れられた明治期の牛久の開拓

 

この風景は何処にもある田園風景です。この場所は岡見町の岡見城址のすぐ西側の台地です。写真の奥側が台地の外れで、谷津になっており、小野川です。この場所は、殆ど注目されず、ありふれた田園風景となっていますが、牛久の歴史の証人でした。牛久には三大開拓として、明治期の女化開拓、そして戦後の、奥野開拓、成美開拓が牛久の黎明期の大きな開拓でした。しかし、ここに忘れられていた明治期の開拓がありました。その名は「岡見が原」の開拓です。この時期は明治11年津田出による女化が原の開拓が始まっていました。その官有地の開拓地から外れた、岡見が原に目を向けたのが、旧牛久藩士「愛知直簡」など3名でした。これらは、牛久県知事人見寧宛に「荒蕪地開墾の儀願」を提出したことからはじまります。その願書によれば、この広大な原野は「天賜ノ妖地」であるが、これ「空しく放棄セシムルノ形況」は、穀物の価格がきあめて安く「殖産培養ノ動費ヲ償フコトアタワザル」によるものとして、これを開墾「牧畜ノ事業ヲナシ」たいというものでした。願書提出の二年後、明治15年11月、その時点での貸付原野はすべて官有地。面積は、岡見・小坂・福田の原野82町歩5反余りでした。女化開拓ほどではありませんが、この広大な土地のルーツは埋もれていました。

| 19:38 | 投稿者 : ushiku |
霜だたみの朝

 

昨日、青森県の津軽半島の東海上にあった低気圧によって西高東低の冬型の気圧配置になり、北海道や日本海側の地方で大雪になりました。特に福井県は記録的な大雪になっています。その原因の低気圧は太平洋上に去りましたので寒さも少しずつ和らいでいくでしょう。今朝は氷点下2度と然程の寒さではありませんでしたが、霜で真っ白でした。この一面に降りた霜のことを[霜だたみ]と言います。霜とは、空気中の水蒸気が0℃に冷えた地物に凍りついて氷の結晶になったものです。その状況から色々な表現の仕方があります。

| 16:40 | 投稿者 : ushiku |
小さな体で厳しい冬を乗り切るトンボ

 

再びお天気は崩れそうですね。先日の雪で、首都圏は大きなダメージを受けましたが、今夜から明日にかけて再び雪の可能性も出てきました。今日は21日、あと四日で立春です。いよいよ春に突入ですね。梅がほころび、寒桜の蕾が膨らみ、フキノトウは益々多きくなり、春の到来を予感します。そして小さな生きものたちも、春を待ち焦がれていることでしょう。写真のイトトンボはこの姿でどんなに寒くても、雪が降っても、雨が降っても木の枝のふりをして越冬します。その名を[ホソミオツネントンボ](細身越年蜻蛉)と言います。雑木林の枝に止まって、どんなに寒くても越冬できる不思議なトンボ。トンボの多くがヤゴとして越冬しますが、本種は成虫のまま越冬することが知られています。

| 19:49 | 投稿者 : ushiku |
牛久にも生息している野生動物

 

先日の大雪が未だに解けていません。日陰や山間部ではまだ新雪のような雪が残っています。その雪原に小動物の足跡がくっきり。こんな寒くても、天敵や人間のいない夜間に餌を探して動き回っているのでしょう。ニホンノウサギ、タヌキ、イタチ等々の足跡が雪原にくっきり。写真はノウサギが手前から上に向かっている足跡と下に下ってきている足跡がはっきりとついていました。この時期は野草も少なく、野菜もハクサイやアブラナ科のカラシナ、ネギ程度しかありません。厳冬期の生きものは本当に大変でしょう。

今日のニュースで報道されましたが、つくば市沼田で、猪が出没しお二人が指をかまれて怪我をしたそうです。茨城は大きな哺乳動物がいないところとして知られていますが、とうとう猪が出たんですね。ちなみに、鹿のいない県は全国に二県だけ。茨城県と佐賀県だけだそうです。当然熊もいません。物騒な野生動物が棲みつかないよう願うばかりです。

| 20:06 | 投稿者 : ushiku |
里山のモルゲンロート

 

1月25日午前6時58分、西側の里山です。最強の寒波と言われる冬型気圧配置で、厳しい冷え込みになりました。牛久で摂氏氷点下6度(午前6時半)。これだけ冷え込むのは近年では記憶がありません。東京でも氷点下4度程度で、四十数年ぶりの記録だそうです。今朝の夜明けはほぼ快晴で、午前6時44分日の出。この光景は日の出から14分後、西側の里山に朝日が当たり、真っ赤に燃える景観を作り出しました。登山などの専門用語に「モルゲンロート」というのがあります。モルゲンロートとは、朝焼けで、朝日の出る前に山がバラ色に美しく染まること。山がもっとも美しく見えるときの一つと言われます。牛久には千メートルを超えるような山はありませんが、平地林に朝陽が当たり、燃えるような光景は、「里山のモルゲンロート」と表現できるのではないでしょうか。

| 19:06 | 投稿者 : ushiku |
牛久助郷一揆 頭取の墓

 

この立派なお墓は、阿見町小池の墓地にあるお墓です。この二つの墓地の裏側に、古い小さな墓石があり、左の墓地裏には「吉重郎の墓」。右の墓地裏には「勇七の墓」があります。勇七と吉重郎とは、文化元年(1804)10月18日に起きた「牛久助郷一揆」の頭取(リーダー)の墓です。牛久助郷一揆とは、江戸後期に起きた農民一揆で、約2000人が女化が原に集まって、一揆を起こした大事件でした。最初は牛久宿本陣に逗留していた勘定奉行所の役人(牛久宿総代・麻屋治左衛門(名主)の出した助郷の願い書に対する実地検問)に大勢で押しかけて要求(名主の出した願い書に反対)を勝ち取ろうということでしたが、大勢集まってしまうと、普段の鬱憤が爆発しました。名主のやり方、更には人馬請負業の和籐治憎しと打ち毀しに発展。ターゲットの邸は次々と打ち壊しましたが、幕府派遣の諸藩の兵隊に阻まれ、阿見が原で解散。その後、幕府役人によって首謀者(前述の三人)や各村から参加した村人は殆どが逮捕され、厳しい処分がありました。特に首謀者の三人は小伝馬町の牢屋敷に収監され、連日の取り調べと拷問で翌年一月には三人は相次いで獄死しました。一揆については暴徒と言う味方が強かったのですが、現在は「義民」として過去の歴史が見直されています。尚、首謀者の一人で、兵右衛門の墓は、桂村(桂町)の金剛院に祀られていましたが、無縁仏として所在不明となっています。写真のお墓は、二人の末裔と言われています。

| 20:35 | 投稿者 : ushiku |
厳しい寒さに耐える冬野菜

 

連日厳しい冷え込みが続いています。今日は昼過ぎの3時頃までが10度未満。3時過ぎると14度まで気温が上昇しました。4度の差で体感温度は大きく影響します。今朝の6時半過ぎの気温は1度、畑は霜で真っ白。ネギもハクサイも凍っているのではないかと思うほど真っ白でした。日が昇っても霜が解けてくるのは8時頃でした。冬野菜はこんなに寒くても立派に育っているようです。

| 18:17 | 投稿者 : ushiku |