観音寺の錦秋が見事です

 

久野町の観音寺が錦秋です。山門脇の樹齢300年のイチョウの黄葉が始まりました。このイチョウは牛久市の市民の木No.16に指定されています。イチョウの巨木から落ちた葉が境内に敷き詰められたように広がっています。また、山門前にはイロハカエデの紅葉が見頃を迎えています。あと数日は見られそうです。

| 19:10 | 投稿者 : ushiku |
牛久は古代遺跡の宝庫

 

猪子町に古墳群があります。場所は太田胃散の近くです。意識して見なければただの雑木林ですが、現在はコナラやクヌギの黄葉がとても綺麗です。ここには小さな円墳は9基現存します。ここは民有地ですが、長い間活用されずに放置されてきたようです。正式な発掘調査は行われていないようですが、どのような豪族の墓なのでしょうか。調査が望まれます。現在は地元の方々によって管理され、雑草も無く綺麗な雑木林となっています。牛久にはこの道山古墳群の他、21基の古墳が現存し、その大半が円墳ですが、最も大きな蛇喰古墳の前方後円墳の他、方墳もあります。

| 18:40 | 投稿者 : ushiku |
朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)

 

お天気はめまぐるしく変わりますね。今日は移動性高気圧が日本列島を通過するため、全国的に小春日和の良いお天気を期待していましたが、午前中は小春日和。午後からは北東の冷たい季節風に変わり、気温もグングン下がりました。夕方には全天雲に覆われ、気温も午前中より4〜5度ほど下がったようです。夕暮れもあっという間でした。(撮影場所:中根小学校付近から西の圏央道方向を望む)

今日は二十四節気(小雪)の七十二候(次候)「朔風払葉」(きたかぜこのはをはらう)です。冷たい北風が、木々の葉を落とす頃。朔風とは北風のことです。地面いっぱいに広がる落ち葉と、葉を落とした木々は冬の景色の象徴であり、季節の移り変わりが感じられ時期です。紅葉の見頃もそろそろ終息を迎え、北風に落ち葉がカラカラと舞う本格的冬に向かいます。

| 19:43 | 投稿者 : ushiku |
凜とした姿で時代を見据える牛久大仏

 

今日は勤労感謝の日、午前中は冷たい雨に祟られました。午後から雨は上がり青空が広がりました。牛久大仏は初冬の寒さにも凜とした姿で東京を見つめていました。牛久大仏がなぜ牛久の地に建造されたのでしょうか?。牛久大仏は、浄土真宗東本願寺派本山東本願寺が事業主体。この浄土真宗の開祖が、親鸞聖人(1173年〜1262年)です。親鸞は後鳥羽上皇の怒りを買い、1207年に越後国に流罪に処せられます。その4年後に赦免された後、常陸国(現在の茨城県)に入り、関東における布教の拠点としたのです。県内には親鸞ゆかりの寺や事跡が多く残っており、この牛久の地もそのひとつなのです。

| 19:42 | 投稿者 : ushiku |
黄葉が待ち遠しい観音寺

 

久野町の威徳山福聚院観音寺は、本尊に十一面観音を祀る天台宗の古刹です。正面の仁王門は宝永4年(1707)に本堂の改修時に同時に建立されたと推定され本堂に使われていた古材が随所に再利用されています。仁王門は三間一戸の八脚単層門で寄棟、元茅葺、両側に慶安3年(1650)に制作された仁王像が安置、江戸時代中期の寺院山門建築の遺構として貴重な事から平成3年(1991)に茨城県指定重要文化財に指定されています。そして、仁王門右手前に大きな木、イチョウは牛久市民の木No.17に指定されている巨木です。11月の黄葉の時期になると、黄葉したイチョウの葉で境内は黄金色一色になります。この時期はヒガンバナが見頃を迎えています。

| 16:50 | 投稿者 : ushiku |
稲敷台地を滔々と流れる

 

この川は一級河川「乙戸川」です。土浦市の乙戸沼公園を水源にして、牛久市井ノ岡町で桂川が接続、島田町から国道408号を横切り、小野川に流入しています。小さな川ですが一級河川で、土浦市荒川沖、阿見町、牛久市と流れ、流域の水田の農業用水に利用されています。この乙戸川の支流の桂川には「鎌倉権五郎」の伝説が残されています。

| 20:14 | 投稿者 : ushiku |
17日ぶり・秋霖の中休み

 

今年の夏は猛暑の後、長雨という不安定な天気が続いています。早朝は小雨がパラツキ、長雨は17日連続となりました。この記録は40年ぶりとか。しかし、午後からお天気は急速に回復し、17日ぶりの青空となりました。この青空も僅か二時間ほど。4時過ぎから再び雲優勢の空に変わりました。天気図では秋霖(秋雨)前線が見え隠れしていますので、明日から再び秋の長雨になりそうです。連日の雨で汚れた空気は一掃されたのでしょう、紺碧の空の元、牛久大仏は威容を誇っていました。(15:13撮影)

| 17:01 | 投稿者 : ushiku |
200年前と変わらぬ交通の要衝

 

ここはJR常磐線と上を走る首都圏中央自動車連絡道(圏央道)、そしてその下を流れる川は一級河川小野川です。この三つに何故注目するかと言いますと、この場所は、江戸時代から交通の要衝でした。現在の常磐線の西側を走る一般国道6号線。そして、圏央道の下を流れる「小野川」は、今を遡ること203年前、江戸の人口急増に対応するための幕府のエネルギー政策として江戸を取り巻く村々に今で言う国有林(御林)が設けられました。ここで生産された薪炭の輸送と、年貢米の江戸直納のため、文化10年(1814)に小野川を利用した水運が発達しました。幕府郡役所は小野川流域の農家から出された申請を受理し、「小野川通り伝馬造茶船鑑札」を発行しました。これにより、牛久から江戸までの諸物資は小野川→霞ヶ浦→横利根→利根川→関宿→行徳→新川→小名木川→大川(江戸)までの片道200kmの水運が始まりました。それから82年後の明治29年、日本鉄道海岸線の土浦−田端簡が開通しました。常磐炭田の石炭を京浜地区に輸送するため、いち早く開通した路線です。それから121年後、平成29年(2017)首都圏中央自動車連絡道(圏央道)が開通しました。いつの世も交通の要衝は変わらないのですね。

| 20:13 | 投稿者 : ushiku |
一級河川小野川の歴史

 

市街地を一寸外れると、こんな長閑な風景が広がります。ここは岡見町から望む小野川です。小野川とはつくば市の小野崎と洞峰沼が水源となり、牛久市域を縦断し稲敷市の古渡まで36.45km牛の一級河川です。この川は蛇行が激しく水深も浅かったため、大雨が降れば度々氾濫したそうです。現在は河川の改修がされているため、氾濫は無くなりました。

この小野川には大きな歴史がありました。今を去ること203年前、文化10年(1814)小野川水運という江戸までの輸送手段がスタートしました。この年に小野川流域の農家28戸が、幕府郡役所に小野川通伝馬造茶船(でんまつくりちゃぶね)の鑑札を申請し受理されました。この時代は江戸の人口は増え続け、エネルギーの枯渇が大きな問題となっていました。そこで、江戸を取り巻く周辺の村々に幕府は官有林にアカマツを植栽し、薪と炭にして江戸直納を義務づけました。その輸送経路となったのが小野川でした。このルートを「小野川水運」と呼ばれています。(写真の下部、左右の白い線の間が小野川)

| 20:54 | 投稿者 : ushiku |
酒島の霊泉の舞台となった五十瀬神社

 

牛久の民話「酒島の霊泉」の舞台となった五十瀬神社、中央の木立の下にあります。境内には「酒島村霊泉之碑」があり、酒がわき出たという言い伝えがあります。酒島村の名前は鎌倉時代に同地を河内郡酒島郷といったのが由来とされ、その昔、暴れ川として恐れられていた付近の小野川から流れてきたみこしを村一番の働き者の八兵衛が見つけ、神社の境内に運び込み祠を造って祭った。朝晩欠かさずお参りし泉の水を病気がちだった祖父に飲ませたところ病気が回復。霊験ある神社の泉としてうわさが村中に広まり、村人が神社に集まってみると泉の水は酒に変わっていた。大喜びした村人たちはいつしか泉のことを「酒島の霊泉」と呼び、参拝者や酒を目当てに来る人が増え一段と村は活気づいたといわれています。泉は現在は枯れてしまって居ますが、井戸は神社の裏に残されています。

| 15:55 | 投稿者 : ushiku |