今や静かに流れる乙戸川

 

乙戸川は乙戸沼を水源として牛久の島田町先で小野川に合流する延長15キロメートルの一級河川です。かつて乙戸沼は水量が多く、付近は湿地帯だったため水害が多発していました。小さな川ですが、しばしば氾濫する荒れ川(今の乙戸川)が流れる地域の先の方(沖)という意味から地名が荒川沖となったようです。今の阿見町本郷区に集落があり、江戸初期に水戸道中(街道)が水害の多い地域を避けて整備されたことから、一部の人が街道沿いに移り住み、荒川沖として宿場に発展しました。乙戸川は小野川に注いでいますが、小野川はつくば市の洞峰公園の洞峰沼と同つくば市小野崎を水源として牛久市を西から東に流れ、稲敷市の古渡から霞ヶ浦に流入する一級河川です。小野川は乙戸川の他、桂川も支流となっており、江戸時代には江戸に年貢米や薪炭を運ぶ水運が開け、その水運は大正時代まで続きました。

| 19:57 | 投稿者 : ushiku |
忘れ去られていく民間信仰

 

今日は、島田町の公会堂で、歴史講座「幻の古道・鎌倉街道」を依頼され行ってきました。鎌倉街道とは、今から800年ほど前に源頼朝が金砂城に立てこもっていた、平氏の残党、佐竹氏を征伐するために進軍した古道で、牛久にも残されています。頼朝は鎌倉から海岸線を通る、「下ツ道」という鎌倉街道を通り、我孫子から利根町(当時下総の国)、竜ケ崎から牛久の島田台に入り、牛久村を通過しました。また、その後、鎌倉権五郎影正が八幡太郎義家の命を受けて奥州征伐「後三年の役」で勝利をおさめ鎌倉への帰途、現島田町の島田台に差し掛かった時、敵の兵に右目を撃ち抜かれたという逸話が残されています。その古道の歴史の話をさせていただきました。帰り際、鎌倉街道から50mほどのところに残されている「大日如来石仏及大日塚」を見てきました。その標識には「当大日如来石仏は寛永6年(1629)出羽三山湯殿山の、修験者が「時念仏」という民間信仰を布教のために建立したもので、御湯殿山御神体の胎蔵界大日像を刻み、殆ど大日塚の上に祀り、全国でも茨城県南地方にのみ見れれる。大日如来は仏教界最高の仏像で、また、真言宗の本尊でもある。此に「高福寺別当宝泉寺栄伝「本願」などの銘刻があり、庶民信仰の対象として五穀豊穣等祈願した。近世に念仏衆が大きな塔婆を囲み数珠を操り、百万遍念仏を唱え現生二世安楽を祈った」 平成3年3月1日 牛久市教育委員会 とありました。

| 20:14 | 投稿者 : ushiku |
神様の名を冠した橋

 

ここはひたち野牛久からすぐ隣の阿見町荒川本郷を流れる「乙戸川」に架かる「道祖神橋」です。この橋の南側には「北向道祖神」があり、地元の方々に大切に保存されています。そして、橋の名前に神様の名前を付けたのは珍しいと思います。道祖神とは、村落の辻や峠の境に祀られた路傍の神とされています。外来の邪悪なものをさえぎるという風に言われます。元は道教から生まれたという説もあるそうですが、神道やら仏教などさまざまな宗教に習合されなどして、実に身近な神として親しまれてきました。それ故、さえぎるという意味から広がり、厄除けや五穀豊穣、縁結びや安産と、いろいろな役割をになうようになった大変な神さまです。甲信越地方や関東地方に多く、とりわけ道祖神が多いとされる安曇野では、文字碑と双体像に大別され、庚申塔・二十三夜塔とともに祀られている場合が多いです。

| 18:17 | 投稿者 : ushiku |
207年前から生き続ける交通の要衝

 

ここは中根小学校下の農道から、南西側国道468号線を遠望しています。468号線と言いますと聞きなれない名前かと思われますが、この道路は「高規格自動車専用道路」といい、通称「首都圏中央自動車連絡道」、すなわち「圏央道」です。牛久市内には3本の国道が走っています。6号、408号、そして468号です。現在では重要な幹線道路になっていますが、その圏央道の下に一級河川小野川が流れています。小野川とはつくば市の小野崎と洞峰沼が水源となり、牛久市域を縦断し稲敷市の古渡まで36.45kmの一級河川です。この川は蛇行が激しく水深も浅かったため、大雨が降れば度々氾濫したそうです。現在は河川の改修がされているため、氾濫は無くなりました。この小野川には大きな歴史がありました。今を去ること207年前、文化10年(1813)に小野川水運という江戸までの水運による輸送手段がスタートしました。この年に小野川流域の農家28戸が、幕府郡役所に小野川通伝馬造茶船(でんまつくりちゃぶね)の鑑札を申請し受理されました。この時代は江戸の人口は増え続け、エネルギーの枯渇が大きな問題となっていました。そこで、江戸を取り巻く周辺の村々に幕府は官有林にアカマツを植栽し、薪と炭にして江戸直納を義務づけました。その輸送経路となったのが小野川でした。このルートを「小野川水運」と呼ばれています。この場所は今も昔も交通の要衝として生き続けています。

| 18:51 | 投稿者 : ushiku |
柏田川と小野川の合流点

 

ここは柏田川(準用河川)の最下流域、小野川との合流点です。柏田川の源流は確実園園芸場付近で、現在では埋め立てられて川の姿は見られませんが、コルサム牛久(マンション)前のJR常磐線脇に調整池がありますが、この池が柏田川の源流付近の名残になります。その水は暗渠となってJRの下を潜り、田宮・中柏田線とハナミズキ通りの交差点の眼鏡市場と洋服の青山の信号を地下で斜めに横切ります。そして、牛久シャトーの裏に出て、市役所脇の近隣公園に。ここで、川は一旦顔を出し、近隣公園の池に流れ込みます。柏田川は再び暗渠となって、ふれあい通りの下を潜り、中央図書館の南側でやっと地上に顔を出します。ここから、三面コンクリートの川となって小野川に注いでいます。全長2.5kmの小さな川でした。写真上部右の森は東洋大牛久高校です。

 

 

| 19:04 | 投稿者 : ushiku |
奥野開拓地の今

 

現在の奥野地区には牧場がたくさんあります。ここは戦後の開拓で知られていますが、昭和23年、敗戦によって満州に移民した人たちは続々と帰国しました。奥野開拓は、昭和24年、リーダーの「平沢千秋氏」によって奥野開拓が始まります。終戦で治安の悪化した満州から命からがら帰国した方々は、生活基盤もなく、極貧の生活の中から、平沢氏の元、苦しい開拓が始まりました。バラックの小屋に身を寄せ合い、苦労の末開拓は進みました。奥野地区は広大な土地を利用し、牧場経営に舵を切りました。そして苦労の末、牧畜に日の目を見ることになります。牛久には三大開拓と呼ばれる、明治の「女化開拓」(失敗)、戦後の「奥野開拓」(牧畜)「成美開拓」(養鶏)がありますが、牧畜で成功したのは奥野開拓でした。そして、時代は遡り、中央競馬会の美浦にトレーニングセンターが設立されると、奥野地区も忙しくなります。競走馬のトレーニング牧場が増え、各所で、サラブレッドの名馬を見るようになりました。写真は名前はわかりませんが、明らかにサラブレッドという雰囲気があります。

| 20:01 | 投稿者 : ushiku |
黄金色の観音寺いつかもう一度

 

久野町の観音寺のイチョウとカエデが色づいてきました。イチョウはそろそろ終わり。イロハカエデの見ごろは後二週間ほどでしょうか。市民の木のイチョウの巨木(樹齢300年)は、ここ数年元気がありません。数年前に大きく剪定が行われましたが、その影響かどうか、写真のように枯葉が敷き詰められていますが、以前は地面が見えないほどでした。山門の内側の境内もまばらです。イチョウを見上げてみると、葉は少なくなっています。異常気象なのか、台風15号の塩害のせいなのか、剪定のためなのか、錦秋という華やかな情景が見られません。

| 17:32 | 投稿者 : ushiku |
ひたち野牛久の八兵衛さん

 

久しぶりに「八兵衛さん」に会ってきました。八兵衛さんとは知らずにその前を通り過ぎている方も多いかと思います。JRひたち野牛久駅東口の階段下に何時も立っています。八兵衛の来歴は右下の小さな石に書かれています。酒島村の名前は鎌倉時代に同地を河内郡酒島郷といったのが由来とされ、その昔、暴れ川として恐れられていた付近の小野川から流れてきたみこしを村一番の働き者の八兵衛が見つけ、神社の境内に運び込みほこらを造って祀ったのでした。朝晩欠かさずお参りし泉の水を病気がちだった祖父に飲ませたところ病気が一気に回復。霊験ある神社の泉としてうわさが村中に広まり、村人が神社に集まってみると泉の水は酒に変わっていました。大喜びした村人たちはいつしか泉のことを「酒島の霊泉」と呼び、参拝者や酒を目当てに来る人が増え一段と村は活気づいたといわれています。この場所は、下根中の下に小野川が流れていますが、川のすぐ手前に田んぼの中にある小さな神社「五十瀬神社」と言いまして、その神社に伝わる「酒島の霊泉」という昔話の主人公でした。

 

 

| 16:14 | 投稿者 : ushiku |
準用河川・柏田川

 

ここは柏田川(準用河川)の下流域になります。ぶどう園通りを東に進み、ふれあい通りの栄町5丁目交差点を直進し道は緩い下り坂になります。その坂を下った一番下が柏田川の橋になります。ほとんどの方は知らずに橋を渡っています。そして道は緩い上り坂になり、登りきったところが東洋大牛久高校入り口になります。柏田川の源流は確実園園芸場付近で、現在では埋め立てられて川の姿は見られませんが、コルサム牛久(マンション)前のJR常磐線脇に調整池がありますが、この池が柏田川の源流付近の名残です。その水は上記写真の付近まで暗渠となってJRを潜り、田宮・中柏田線の眼鏡市場と洋服の青山の信号を斜めに横切り、牛久シャトーの裏に出て、市役所脇の近隣公園に。ここで、川は一旦顔を出し、再び暗渠となって、ふれあい通りの下を潜り、中央図書館の南側で地上に顔を出します。ここから、上記写真の三面コンクリートの川となって小野川に注いでいます。全長2.5kmの小さな川でした。

| 17:08 | 投稿者 : ushiku |
有料道路であって高速道路ではない圏央道

 

稲刈りの時期に相次ぐ台風で刈り取りが大きく遅れるのではと思っていましたが、晴れればあっという間に刈り取り作業は終わります。ここは中根地区の水田です。後方に見えるのは国道468号線です。国道468号線とは馴染まない数字ですが、通称「圏央道」です。どう言うわけか高速道路ではないのです。国交省によれば、圏央道は「高規格自動車専用道路」だそうです。要するに有料道路であって、高速道路ではないと言うことになります。

| 18:14 | 投稿者 : ushiku |