爽やかなかっぱの小径

 

昨日、日本列島に大雨を降らせた寒冷前線が去り、今日は爽やかな五月晴れになりました。五月晴れとは本来、梅雨時の晴れ間を呼びますが、5月の爽やかな晴れ間を便宜的に使っています。牛久沼かっぱの小径では、小径に沿った田んぼは、田植えから半月が経過し、早苗は活着し爽やかな薫風に揺れていました。かっぱの小径を歩くと、ふわふわと白いものが浮遊しています。タンポポの綿毛にしては多すぎますし、蒲の穂(秋)では季節が違います。その浮遊物質は、柳の綿毛でした。写真の右側が牛久沼の湖畔。湖畔にそって河畔林として柳の古木が生育しています。この柳(マルバヤナギ)から一斉に種子の飛散が始まっています。写真の場所はアヤメ園側の入口付近です。この付近の水田は綿毛で白くなっています。そして出口付近の木道上を歩いてみますと、木道上が白くなっているのがわかります。この綿毛の浮遊する姿を「柳絮」(りゅうじょ)と言います。当HP5月19日(牛久沼)と関連します。早い内にご覧ください。

| 17:33 | 投稿者 : ushiku |
柳絮の季節

 

田植えしたばかりの田んぼに何やら白い斑点が気になりますね。これは「柳絮」という現象です。牛久沼の湖畔には河畔林として「マルバヤナギ」が自生しています。とても大きな木に育っており、その木から一斉に綿毛が飛び出しました。まるで綿のような小さな綿毛には小さな種子が付いており、風に揺られて飛ぶ様は、とても幻想的です。この情景を「柳絮」と呼ばれ、白い綿毛のついた柳の種子が、雪のように舞うことを言います。昔、晋の時代、謝安が急に降り始めた雪を見て、この雪は何に似ているかと聞いたところ、甥の謝朗は「空中に塩を蒔いたようだ」と言い、姪の謝道韞は「白い綿毛のついた柳の種子が風に舞い散るのには及ばない」と答えたそうです。謝安は姪のことばに感心し、「柳絮の才高し」と言ったという故事に基づく言葉です。牛久沼で見られる場所は、かっぱの小径沿いで、一番の見所は「木道」付近です。最盛期は木道が真っ白になります。

この幻想的な風物詩も、北京市で今年4月10日、柳絮と呼ばれる綿毛に覆われた柳の種子が大量に宙を舞った。中国メディアの新浪網が2019年4月11日付で報じた。「春の訪れを告げる風物詩で幻想的な光景でもあるが、吸い込むと呼吸器に障害を起こす恐れがあり、また地上に積もった柳絮は極めて燃えやすく、火災の危険もあるという」。こんな騒ぎも起きています。

| 17:22 | 投稿者 : ushiku |
終日のたりのたり哉

 

この時期は「立夏」、すなわち「初夏」です。連日、真夏日とか夏日の報道がされていますので、連日真夏の様相を呈しています。この時期に「ひねもすのたりのたりかな」とは季節外れの言葉かと思いますが、写真の情景がまさに「春の海 終日のたりのたり哉」と感じられました。「ひねもす」とは「終日」との意味で、一日中との意味になります。「のたり、のたり」とは、のんびり、だらだらする、といったイメージで、春の海の穏やかな波が一日中寄せては返している、といったイメージになります。この句の作者は江戸時代の俳人「与謝蕪村」。この句は、丹後与謝の海を詠んだともいわれています。しかしこの句を目にすると、まどろむような海の情景がたちまち現れる。光溢れた印象派の風景画を見るように、平明で親しみやすい。そんな叙景性が蕪村の句の特徴であり、魅力でもあります。主観的な芭蕉の句に対して、蕪村はあくまで写実的で客観的です。 

| 20:05 | 投稿者 : ushiku |
史跡を管理する里親制度が欲しい

 

今日、外国人のお客様をお連れして、城中一帯をご案内しました。牛久城址に差し掛かった時、一の郭と二の郭の間にある「空堀」に差し掛かった時、呆然と立ちすくんで、「歴史のある遺跡が何とも酷い状況ですね」と。この言葉に愕然としました。確かに酷い状態となっています。孟宗竹が入り込み、まさに放棄された荒廃林そのものです。各種マップ には「牛久城址」とか「牛久城跡」と記述がありますが、県外から来たお客様にはここが城跡なのか、荒廃林なのか、全く理解できないでしょう。現在、市内の公園を管理する「公園里親」という制度が軌道に乗りつつあります。地元ボランティアが地元の公園を定期的に草刈り等をしてきれいな公園で市民に利用してもらうという制度です。そこで、市内の遺跡(史跡)などをボランティアによって整備する「歴史里親」と言った制度を立ち上げては如何なのもでしょうか。孟宗竹を壊滅するためには、計画的に対応する必要があります。現在注目されているのは、「竹の1m切り」という方法です。12月〜2月の間に、孟宗竹を1mに切ると、生育が止まり、枯死してしまうと言う方法です。市内の多くの史跡が見るに堪えない状態となっています。何とかしなければ。

| 16:14 | 投稿者 : ushiku |
寂しく佇む改善一歩の碑

 

誰にも注目されずに寂しく立っている「改善一歩の碑」です。小川芋銭が地元青年団が立てようとしていた木製の道標から後世に残せる石の道標にしなさい、とのアドバイスによって立てられた貴重な文化財です。牛久の史跡としても良いはずですが、現存する7本について、何の指定もありません。城中には歴史がいっぱい詰まっています。6000年前の縄文時代歴史。戦国時代の特に天正18年(1590)から江戸開幕までの歴史。江戸時代の牛久藩の歴史。近世に入ってからも、小川芋銭・住井すゑ・平本クララ著名人を輩出した城中。昭和に入ってからの牛久沼ならではの農耕の歴史などなど。牛久は歴史で町おこしが出来ます。

| 17:09 | 投稿者 : ushiku |
国道6号牛久土浦バイパスの通過地点現況

 

ここは、昨年埋蔵文化財の発掘調査が行われた「小馬様台遺跡跡」です。竹藪の後ろが同じく「山王前遺跡」でした。いずれも国道6号牛久土浦バイパスの犠牲になってしまった貴重な古代遺跡でした。いずれも整理遺跡として、報告書だけが残された遺跡で、再現できることは不可能です。バイパス工事は更に進展し、奥側の根古屋工区では橋脚が完成し、山王前遺跡と、小馬様台遺跡の中間にある、谷に工事が進んできました。この谷に橋脚が完成すると、バイパスは大手門付近(写真手前)に接続される予定です。

| 17:38 | 投稿者 : ushiku |
城中地区の歴史散策

 

今日も五月晴れの一日でした。今日は、某行政区から依頼され、城中地区の歴史散策を行いました。30名の方と午後1時30分、暑い陽気でしたが、日陰を選びながらスタート。アヤメ園の生い立ち⇒縄文海進の時の牛久沼⇒城中の斜面林⇒(自然観察)⇒かっぱの小径(柳絮の説明)⇒(元気館左折)⇒南窓寺跡の筆子塚(寺子屋から城中小学校(明治8)。勧成院の寺子屋提灯座が牛久小学校(明5)それぞれ学校となったが、明治15年、両校は統合、新たに牛久小学校となった経緯)⇒住井すゑさんの抱樸舎⇒俳人平本クララ邸(平本さんとは)⇒小川芋銭の雲魚邸⇒改善一歩の道標⇒河童の碑⇒牛久陣屋跡(150年前の陣屋門現存の説明)⇒稲荷塚古墳⇒愛宕山古墳⇒得月院(得月院について・小川芋銭墓・妙印尼輝子墓(牛久城主由良国繁母・77歳の時に前田利家の部下となって小田原攻めで功績を挙げた戦国期の最強の女丈夫)・霊柩車・樹齢500年榧の大木・閻魔大王と奪衣婆の解説)。ここまで約2時間の行程でしたが、一人の落伍者も無かったのは幸いでした。でも暑かった!

| 20:07 | 投稿者 : ushiku |
乾田のメリット

 

昨日の水田は「谷津田」(湿田)でしたが、今回は「土地改良区」の整備された水田(乾田)です。碁盤の目のように整備された水田は、「乾田」と呼ばれ、冬は水を完全に抜いて田を乾燥させます。乾田の更に大きなメリットは、大型の農機具が田に入れることでしょうか。「田起こし」→「代掻き」→「均平」→「田植」まで、わずかな労力で稲作ができることです。昔は人力に頼っていて、大変な苦労が忍ばれます。(ここは広大な稲荷川土地改良区です)

| 17:45 | 投稿者 : ushiku |
国道6号牛久土浦バイパスの通過地点現況

 

国道6号牛久土浦バイパスの根古屋工区、橋台が完成しました。後は橋桁を橋台に載せれば道路は完成です。橋桁をどのように載せるのか、いくつかの方法を考えてみました。「トラッククレーンベント工法」( 上部工をベント(仮受け台)で支持しながら、順次、移動式クレーン(トラッククレーンまたはラフタークレーン)によって架設する方法)。もう一つは「送り出し工法」(地形や交通などの条件から、橋梁下にベントが設置できない場合などに用いる工法)です。この二つが考えられますが、橋台の工事で地面の養生が出来ていることを考えますと、トラッククレーンベント工法になるのではないかと思います。ここまで来るのに地盤硬化で長期間費やしてきています。根古屋川流域の軟弱地帯は最新技術によって、国道が通過しようとしています。

| 17:00 | 投稿者 : ushiku |
まもなく柳絮の見られる季節

 

牛久沼の湖畔(かっぱの小径周辺)に生育するマルバヤナギの花が咲き出しました。この柳は河畔林として、川の縁や湖畔に生育します。5月の中頃には綿毛についた種子が風に舞う姿は市内唯一のすばらしい景観です。その姿を「柳絮」(りゅうじょ)と言い、白い綿毛のついた柳の種子が、柳の播種時期である初夏に見られます。まるで、ダウンが風に舞っているようで、最盛期は辺り一面雪が降ったように真っ白になり、幻想的な光景です。柳絮とは早春の季語ですが、短歌や俳句ではあまり登場しません。しかし中国では柳が多いために、日本で梅や桜の開花を見るのと同様に一般的に見られる風景となっています。そのため漢詩の題材として使われることが多く、和漢詩でも短歌などに比べて多く使われる傾向があります。国内で有名なのは上高地の「化粧柳」が殊に有名です。

 

 

| 17:20 | 投稿者 : ushiku |