国道6号牛久土浦バイパス根古屋工区の現況

 

国道6号線牛久土浦バイパス、根古屋工区の現在です。根古屋川の流域は地盤が悪く、地盤固化剤等が用いられたはずで、かなり長い期間、地盤の固化工事が行われていました。そして、橋脚が建てられ、その上に橋桁が載せられています。写真右が現6号です。左に進むと、元山王前遺跡を削り、一度谷を橋脚で渡り、大手門付近から切土で三日月橋生涯学習センター東側を通過して稲荷川に出ます。この先どれほどの期間を要するか分かりませんが大きく景観が変わろうとしています。

| 15:33 | 投稿者 : ushiku |
細長〜い放射霧

 

午前6時の稲荷川です。今朝も薄っすらと霜が降りていましたが、陽が昇ると気温も徐々に上がっていきました。川面にまるで煙がたなびくように川霧が細く立ち込めていました。川全体ではなく左岸だけです。これは放射冷却によって発生した川霧(放射霧)です。放射冷却とは、特に天気予報では、地面の熱が放射によって奪われ、気温が下がることを指します。昼間は、太陽の熱で地面は温められますが、一方、夜間は太陽が出ておらず、昼間に地面が太陽から受け取った熱は、放射によって宇宙へ戻っていきます。その際、地面とともに周りの空気も冷やされ、気温が下がります。特に晴れた夜は、熱の放射を遮るものがないため、放射冷却が進みます。しかし、曇った夜は、放射された熱が雲によって遮られるため、宇宙まで戻りにくくなります。風が弱く、よく晴れた夜間には放射冷却によって、地表付近の空気が冷やされ、空気中の水蒸気が凝結し、霧が出現することがあります。この放射冷却によりできる霧は放射霧と呼ばれています。

| 17:23 | 投稿者 : ushiku |
国道6号牛久土浦バイパス根古屋工区の現況

 

国道6号牛久土浦バイパス根古屋工区の橋脚に橋桁がのりました。ここまでくると、市道城中田宮線の大手門までは一気に進むようです。ただし、城中の山王前遺跡の部分まで。そこから大手門までは切土区間で、土地収用も終わっていないようですので更に時間はかかりそうです。写真右側が現国道6号です。この根古屋川の最河口で、コブハクチョウの抱卵が始まりました。

| 13:33 | 投稿者 : ushiku |
波頭が立つ牛久沼

 

今日は北海道を取り囲むように二つの発達した低気圧があって、北西の強い季節風が一日吹き荒れました。牛久沼は白い波頭が立ち、まるで海のようでした。午後の気温は18度まで上がり、ポカポカ陽気のはずですが、風が強く、体感温度を下げました。今日は太陽が真東から昇り真西に沈む、二十四節気「春分の日」。昼と夜の長さがほぼ等しくなり、明日からは昼の時間が徐々に長くなっていきます。また「彼岸の中日」にあたります。日毎に暖かさも増し、「春めく」から「春本番」へ。太陽の光が植物の成長を促すように日脚が伸びるにつれて心もどこかウキウキしてきます。日光を浴びると、気持ちを安定させる脳内物質「セロトニン」の力が強くなるからだそうです。もちろん、芽吹きや気温の高まりを感じるせいもあるのでしょう。太陽は植物にとっても、私たち人間にとっても大切な生命のスイッチを押してくれます。三日月橋、稲荷川外提の桜は四五輪以上の開花になり、満開まで後四五日はかかりそうです。

| 19:29 | 投稿者 : ushiku |
コブハクチョウの抱卵が始まった

 

牛久沼の人気者、コブハクチョウが抱卵を始めました。ここは根古屋川を塒とする個体で、一昨年は抱卵が失敗していますが、昨年は三羽の雛が孵りました。今年は何羽になるでしょうか。牛久沼周辺では、いろいろドラマがありました。水辺公園脇で四羽。水辺公園からやや北の谷田川河畔で三羽。稲荷川の個体は失敗。コブハクチョウの家族愛は注目されていますが、生息域が拡大し、農業にとっては害鳥と嫌われています。親鳥は雛に餌を食べさせるため、川から上がって、田植えしたばかりの稲を啄んでしまうということで、農家では脅威を感じています。生息域が拡大しない方法は、風切り翅を切ることに他なりませんが、牛久沼の管理者に問題がありそうです。

| 17:11 | 投稿者 : ushiku |
この時期には珍しい尾流雲

 

なかなか春がやってきませんね。今日は本州の上空5500m付近に-36度という真冬並みの寒気が流れ込み、冬型の気圧配置が強まりました。この影響で、大気の状態が不安定になり、突然の天気急変がありました。午後2時30分、三日月橋から南西方向にこの時期では珍しい積雲から「尾流雲」がのびているのが見えました。雨は降っていませんでしたが、この雲は牛久を通過せず、東に移動したようです。尾流雲は副変種のひとつで、雨や雪が地上に落下する途中で蒸発してしまい、糸を引くような形で現れます。巻積雲、高積雲、高層雲、乱層雲、層積雲、積雲、積乱雲に見られます。午後4時過ぎにはパラパラと雨が降った後、霙に変わりましたがすぐ止み、その後明るい太陽が顔を出しました。

| 17:15 | 投稿者 : ushiku |
台風のダメージも物ともせず復活

 

牛久市観光アヤメ園のしだれ柳が新緑に萌えています。このしだれ柳は、昨年秋の台風15号で中央部から折れ、その後台風19号で上部から折損。業者によって、剪定されました。姿かたちは大きく損なわれ、見るも無残な姿になっていました。その柳は新緑の時期を迎え、形こそ悪いものの、見事に新緑に萌えています。自然の回復力は本当にすごいですね。

| 18:06 | 投稿者 : ushiku |
稲敷台地を仰ぐ牛久沼

 

牛久沼水辺公園から牛久市城中方向を遠望。水面は牛久沼。この写真で何か気づきませんか? 牛久沼は6000年前の「縄文海進」(地球が熱く、大陸の氷床が溶けて)で、海面が5m近く上昇、牛久沼も太平洋の海水が入り込んでいました。その後地球は冷えて、「海退」が始まり、残ったのが牛久沼や霞ケ浦が海跡湖となります。正面の台地が稲敷台地、そして牛久沼。牛久沼の手前は陥没低地と言われた低地で、現在の利根川までがその低地となっていました。江戸時代初期には利根川は隅田川につながっていました。上流で大雨が降れば、江戸の町は洪水で悩まされていました。それを何とかしたいと動き出したのが徳川家康でした。天正18年(1590)、秀吉の天下統一で、小田原北条氏を攻略し、秀吉が天下を手中に収めました。その最前線の基地(小田原)で、秀吉は家康を呼びつけ、武蔵の国を与えるから江戸に行けと命じました。家康はとるものも取らず家来とともに江戸に。朽ちかけた千代田城に入った家康は、1590年〜1600年までの10年間、鷹狩と称して、家来を伴い、武蔵の国をくまなく調べ上げました。その時に見つけたのが、利根川の前身となる湿地帯でした。ここから江戸につながる利根川の本流を変えようという壮大な計画がスタート。鷹狩の大きな成果でした。その後、隅田川につながっていた利根川を東に移し替える「利根川の東遷」という大事業を幕府が行いました。ですから、我孫子・取手から竜ケ崎に至る地域は「陥没低地」とされるゼロメートル地帯でした。時代が更に古くなり、800年前の鎌倉時代になると、我孫子まで来た源頼朝率いる兵は、湿地帯の続く取手、利根町、竜ケ崎を、田舟を利用するしかなかったようです。その後、現国道408号島田町付近の小野川を過ぎ、舟からやっと解放され、鎌倉街道を北に進んだということです。

 

| 21:17 | 投稿者 : ushiku |
前線の下にある関東地方

 

午後4時の牛久市観光アヤメ園から西の空を見ています。泊崎の遥か先、取手方向は明るいようですが、薄っすらと尾流雲が見えますので、雨は降っているようです。牛久も傘が必要なほどの雨でした。今日は前線を伴った発達中の低気圧が列島を通過中で、全国的に雨の一日になりました。この発達中の低気圧の移動に伴い、関東地方では深夜に、北日本では明日の朝が気圧が一番低くなるため、天気痛の恐れがあります。雨が降りそうになると頭痛がする。梅雨時になると決まって古傷が痛む。季節の変わり目には体がだるくなったり、めまいが出る。そのような人が結構いるようですが、天気痛とは認識されていないようです。このように、気象や天気が変化すると発症したり症状が悪化したりする病気は「気象病」と呼ばれています。

| 17:16 | 投稿者 : ushiku |
国道6号牛久土浦バイパス城中工区の現況

 

国道6号牛久土浦バイパスの城中工区です。正面の綺麗に整地されたところが、一昨年埋蔵文化財の発掘調査が行われた縄文時代の「山王前遺跡」です。この状態が今後どのように工事が進むのかはわかりませんが、写真中央の整地された部分に貴重な埋蔵文化財がまだ眠っているのではないかと思います。バイパスは正面奥から手前に進んできます。正面奥は高架の道路で、この台地に来ると、手前に下り、そのまま切土して、大手門付近の交差点を下に潜り、三中と三日月橋生涯学習センターの間に進みます。

| 18:00 | 投稿者 : ushiku |